中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年
中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年(白川方明 著/東洋経済新報社/4500円+税/758ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
しらかわ・まさあき●1949年生まれ。72年東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。大分支店長、審議役などを経て2002~06年理事。08年4月~13年3月総裁。現青山学院大学特別招聘教授。著書に『現代の金融政策──理論と実際』『バブルと金融政策──日本の経験と教訓』(共編著)など。

難しい不易流行の均衡 重み増す13年の共同声明

評者 一橋大学大学院経済学研究科教授 齊藤 誠

本書に接して「不易流行」という蕉風俳諧の理念が思い出された。不変の価値(不易)と新しい価値(流行)の両方を大切にする姿勢を意味する。白川は、第1部の「キャリア形成期」で「不易」を培い、第2部の「総裁時代」に「流行」に取り組んだ。

まさに中央銀行実務の不易である金融調節について、当初はよく理解できず、日常業務から学んだと告白している。

ただ、流行は形成期にも静かに忍び寄っていた。当座預金量拡大の政策効果については、今でも厳密な理論的裏付けがあるわけではない。それでは2001年3月の量的緩和政策は、どのように日銀内で正当化されたのか。

白川は「量についてのある種の幻想を利用する」という山口泰副総裁(当時)の発言を引くが、その時の政策判断を批判してはいない。現在の金融緩和の混乱は、当初から不易を逸脱し流行を利用した日銀にも責任があると思う。

08年4月に総裁に就任した白川を待ち受けていた流行は、前年から進行していた世界金融危機への対応であった。日銀は政策リソースを積極的に投入してきた。米国側から2日前にリーマンブラザーズ破綻の方針を知らされた白川は、破綻を容認した米国当局の消極姿勢に失望した。

一方、白川はインフレ目標という流行には慎重な態度を取り続けた。日銀に求められたのは、①数値目標の設定、②大胆な金融緩和、③目標達成時期の明示という世界のどの中央銀行にも求められていない「日本版」であった。

13年1月に公表された政府との共同声明に合意するプロセスでも、白川は期限設定に言質を与えず、デフレ脱却のために政府と日銀が共同で対処することを確認した。しかし、多くの人々が「日銀の責任において2%のインフレ目標を2年内に達成する」と共同声明を読み換えてきた。

現在、「出口」を求めて呻吟する金融政策だが、この共同声明は私たちが勇気をもって戻るべき「入口」なのである。

本書の冒頭には、総裁を辞した白川が小石川植物園で年配の売店員から感謝された逸話が書かれている。白川は三重野康元総裁から贈られた「窮して困(くる)しまず、憂いて意(こころ)衰えず」(困難や憂慮があっても平静を保つ)という荀子の言葉で常に自己を律してきた。厳しい規律に裏付けられた日銀の国民への責務と、売店員が寄せたような国民の日銀への信頼が表裏一体となった時にこそ、「不易流行」の理想がかなうのだろう。