(撮影:風間仁一郎、鈴木紳平)

カルロス・ゴーンの日産自動車会長解任の背景には、日本人経営トップ同士の確執が見え隠れする。まるで「社内抗争のDNA」がよみがえってきたかのようだ。

「私が社長の頃はルノーなんかには見向きもしなかった」。仏ルノーが日産に出資を決めた直後の1999年4月、日産元社長の石原俊は筆者にこう豪語した。

石原は77年に社長就任後、「世界シェア10%」の目標を掲げ、急激なグローバル化を推進したが、国内の仕事が減ることを恐れた労組と対立、社内が混乱した。当時の日産労組は「天皇」と揶揄された塩路一郎が率いていたが、石原主導で塩路の公私混同ぶりを写真週刊誌に暴かせ、失脚させた。

この石原も「唯我独尊的な性格」(日産人事部OB)から、徹底して反対派を追い落とし、社内抗争を繰り返してきた。中でも最大のライバルだった米国日産社長が北米市場で成功させた「ダットサンブランド」を、ライバル憎しの理由だけで消滅させたことは、今でも関係者の間では語り草となっている。無謀な拡大戦略と北米戦略の失敗に加え、内紛体質から構造改革も進まず、日産は90年代に倒産寸前の危機に追い込まれた。

そしてルノーの資本参加によって救済されて約20年が経過したわけだが、日産とルノーの間にすき間風が吹くようになったのが2015年。筆頭株主である仏政府の意向を受けたルノーが、日産支配をさらに強めようとしたのだ。そのときはゴーンが盾となって圧力をはねのけたものの、いつまた仏政府の圧力が及んでくるかわからない。17年に社長に就任した西川廣人には、経営の独自性維持という大きな課題が突き付けられた。