良き社会のための経済学
良き社会のための経済学(ジャン・ティロール 著/村井章子 訳/日本経済新聞出版社/4200円+税/612ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
Jean Tirole●1953年フランス生まれ。エコール・ポリテクニークで工学の学位を取得。経済学Ph.D.を取得したMITでの教授などを経て、現在はトゥールーズ・スクール・オブ・エコノミクス運営評議会議長。主著に『国際金融危機の経済学』など。2014年ノーベル経済学賞受賞。

人間行動の研究とともに変わる経済学の啓蒙書

評者 BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎

ある大学での実験結果。経済学を学んでいる学生に利己的な行動を取る人が多かった。経済学を学んだから利己的になったのか、利己的な人が経済学を専攻したのか。経済学者はどう答えるのだろう。

本書は、幅広い分野で突出して優れた業績を残し、2014年にノーベル経済学賞を受賞したティロール教授が著した経済学の啓蒙書だ。さまざまな分野を網羅するだけでなく、米国の高額な報酬との格差を含め学界事情も率直に語っているからか、研究者の間でも話題になっている。

本書を開いて安心する人も多いはずだ。経済学では合理的経済人を仮定することが多いが、この仮定は時として行き過ぎで、我々が適切な選択のための十分な情報を持ち合わせていないことや認知バイアスから逃れられないことをまず強調する。本書で取り上げるさまざまなトピックに共通するのは、情報の非対称性が引き起こす経済問題である。

ひと昔前は、主流派経済学者というと市場を絶対視するイメージが強かった。しかし、市場はあくまで手段であり、それ自体が目的ではないこと、また国家と市場は相互補完的な関係にあり、政府の仕事は市場の失敗を正すことだが、決して市場の代わりにはなれないことを具体例で論じる。

多くの経済学者と同様、ティロール教授もインセンティブを重視しはする。ただ、組織や社会の目的にかなう行動を促す効果もあるが、状況次第では逆効果をもたらすと絶対視はしない。冒頭の質問に関しては、われわれは利他性を持ってはいるが、脆弱で、利己的行動を正当化する根拠があると、利他性はあっさり後退するという。納得である。

グーグルなど新たな独占に対する望ましい規制やデジタル・エコノミーの下での働き方、地球温暖化問題への対応など、最新の経済問題についても分かりやすく解説してくれる。フランスの経済学者として、自国が直面する経済問題も詳しく論じるが、労働市場の深刻な二極化問題や企業の新陳代謝の遅れなど、日本人にとっても役に立つ経済的論考が満載である。

近年、脳科学や神経科学などの分野で、人間行動に関する研究が進み、経済学が想定していた合理的行動を人々が必ずしも取っていないことが明らかになり、経済学は変貌を遂げつつある。経済学が文化人類学や法学、歴史学、哲学、心理学、政治学、社会学など起源を一にする学問との再統合の過程にあるというのは、大変印象に残る言葉だ。

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