1987年のポール・アレン(左)とビル・ゲイツ(写真:Ann E. Yow-Dyson/Getty Image)

筆者にとって初めてのパソコンは、中学生のころ、1993年に手に入れたNECの「PC-9821」という製品だった。このパソコンは、「Windows 3.0」というかろうじてマウスを使って操作できるOSを使っているパソコンだった。真っ黒な画面のMS-DOSで微調整をすることでやっと起動するなど、苦労が絶えなかった。

その後、マイクロソフトという会社に興味を持ち、ビル・ゲイツ氏とポール・アレン氏が1975年に創業し、世界中の机にパーソナル・コンピュータを普及させるべく、コンピュータの標準化(マイクロソフト化)に取り組んできた会社であることを学んだ。しかも、ゲイツ氏とアレン氏は中学生のころからの知り合い。アレン氏は、ハーバード大学に在学中のゲイツ氏を退学させ、起業の道へと引きずりこんだ。つまり、ちょうど筆者がパソコンを手に入れたのと同じ中学生のときに、起業のパートナーを見つけていたことになる。

しかしアレン氏は1983年にホジキン病を理由にマイクロソフトを離れて以来、ガンとの闘病を続ける人生でもあった。2009年に治療で克服したガンの再発が発表されてから2週間後の2018年10月15日、アレン氏は非ホジキンリンパ腫で亡くなった。65歳だった。

テクノロジーの「きっかけ」に賭けてくれた

マイクロソフトによって個人がコンピュータを使うようになる時代が訪れ、それがスマートフォンへと変化し、人工知能、拡張現実、仮想現実といった先端の技術の活用手段へと発展している。

インターネットや通信技術、それを支える半導体、航空宇宙技術を含むテクノロジーの多くは軍事技術によって急速に発展し、それが急速に民間に広まっていく。我々が今日、飛行機で旅行し、ポケットにコンピュータを収め、無線インターネットを通じてInstagramの写真を楽しむ様子を見ると、近い将来、人々は宇宙空間へと旅行するのも当たり前のように思えてくる。

こうしたテクノロジーに対する楽天的な未来に対する感覚は、それまでのテクノロジーを人々が当たり前のように使える形で広める「きっかけ」を作ってきた人々がいたからだ。

アレン氏自身もそのきっかけの1人だったが、同時にそのきっかけを作っている人たちを支え、また過去のテクノロジーに対して熱心に研究する姿勢には、こころを動かされ、また深い尊敬の念を抱かずにはいられない。

アレン氏は2兆円以上の資産を築いてきた。資金の多くを新しいテクノロジーに投資し、慈善事業にも多くの資金を投じてきた。

海底で見つかった戦艦武蔵の画像(写真:ポール・アレン氏のサイトより)

日本では、フィリピン海で戦艦武蔵の探索をしたことで知られるが、日本の一式戦闘機を飛行可能な状態で保存しているのもアレン氏だ。また大学では、コンピュータサイエンス、脳科学、人工知能、細胞化学など、最先端のテクノロジーの研究機関を立ち上げてきた。

さらに、宇宙開発に対しても多額の資金を投じているほか、アニメーションスタジオのDreamworksに可能性を感じて早期のタイミングで投資を行うなど、その興味とサポートは、きわめて多彩だ。共通しているのは、テクノロジーのフロンティアを探求する人々を支援し、そこで得られた成果を社会に還元することを後押しする、という点だった。

「アイデアは実行して初めて価値を持つ」

2011年に出版した自叙伝「アイデアマン」にちりばめられた金言の中で、「アイデアは実行して初めて価値を持つ」を選ぶ人は多いだろう。アイデアは自分自身とも語っている。つまり、実行することで初めて、自分に価値が生じるととらえることもできるだろう。

マイクロソフトの株式上場で得た富を、自分のアイデアの実現のために使い、家族や自分が作った企業に勤める人々だけでなく、地域コミュニティや世界中の人々に対して、変化と前進を促し、支え、切り拓いてく。そんな悠々自適ともいえる姿は、いま富を得ている現役のテクノロジー企業のトップからすれば憧れの的と言えるかもしれない。

企業を大きくする事、失敗しないことを求められる現在の大企業では、アイデアを持っていても、大きなリスクを伴う可能性へのチャレンジが、簡単に許されるわけではない。