
生徒の状況理解力と先生の応答能力に感銘
評者 兵庫県立大学大学院客員教授 中沢孝夫
横浜市の桐蔭学園中学・高校の生徒たちと、法学者との対話の記録である。対話の素材は、古今東西の「物語」と日本の裁判所の判決文だ。
まず評者が驚いたのは、参加している生徒たちの感受性と反応の素晴らしさである。
溝口健二監督の『近松物語』。イタリア映画の『自転車泥棒』。ローマ喜劇の「カシーナ」「ルデンス」。ギリシャ悲劇の「アンティゴーネ」「フィロクテーテース」。それぞれの作品は、ストーリーが難解ということはないが、幾つものエピソードがあって、そこに見逃せない含意がある。
たとえば、『近松物語』の最後で、姦通罪により刑場に向かって引き回される男女の、晴れ晴れとした笑顔の意味にたどりつく中高生と先生のやり取りは読んでいて楽しい。それは『自転車泥棒』やギリシャ悲劇の理解も同様だ。世間には徒党を組み我欲を通す人たちと、いつも“にもかかわらず”「義」を通す人たちがいることがわかる。
どの物語についても中高生はしっかりと受け止め、年少者にこんなものを読ませてよいのか、などという馬鹿げた発想はこの本にはない。
本書では「欲望」「占有」「自由」「民主主義」「人間の関係性」「組織」「秩序」「国家」という概念が、それぞれの物語のエピソードを通して、生徒の豊かな状況理解力と先生のレスポンス能力によって明らかになっていく。

映画や劇を事例に対話をしつつ、最後に最高裁判所の判例を読み、検討する。一つは土地の売買の経過と「登記」と「占有」の問題。もう一つは、事故で死んだ自衛官を妻の意思を無視して「護国神社」に合祀できるか、という問題である。いずれも、所有権と、内面の自由、という社会の根幹をなすテーマである。著者と生徒たちの理解と結論については本書を読んで欲しい。
評者は、このような勉強をする中学・高校があることを知って、とても心丈夫に思った。「ネパールが海はみんなのものだからといって、インドに対して、海への出入りと通行の権利を主張したんだけど、無視されたこと」などをあげて、国家間関係を考える高校生が存在するのだ。
若干、不満が残るのが著者による憲法9条2項の「擁護方法」である。「国際政治も国際機構も国際法もお粗末なままにとどまるから、9条が孤立しているようにみえる」とぼやいているが、だからどうするかを考えるのが大人の役割だと思うのだが。