北方領土交渉を正確に読み解くコツは、日本政府が積極的に述べようとしない事実に関する知識をきちんと押さえておくことだ。

東西冷戦期から、安倍晋三政権にかけて、日本政府の北方領土に関する基本方針は、大きく3期に分けられる。

第1期は東西冷戦期で、歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島から構成される北方領土は、千島列島に含まれない日本固有の領土で、ソ連に対して「四島即時一括返還」を求めるというものだ。

第2期は、1991年10月から第二次安倍政権発足前までだ。91年8月にソ連共産党守旧派によるクーデター未遂事件があった。その後ソ連は解体過程に入り、エリツィン大統領に指導されるロシアが求心力を持ってきた。エリツィン大統領は、北方領土問題について「戦勝国、敗戦国の区別なく、法と正義の原則によって解決する」という方針を明確にした。それを受けて日本政府も「四島一括返還」から「四島に対する日本の主権が解決されるならば、実際の返還の時期、態様、条件については柔軟に対処する」と基本方針を転換し、同年10月にモスクワを訪問した中山太郎外相が、ソ連とロシアにこの方針転換を極秘裏に伝えた。記者会見で外務省はこの方針転換を伝えていない。ただし、この方針転換以降、首相官邸も外務省も「四島一括返還」という主張を一度もしたことがない。

第3期は、第二次安倍政権になってからだ。93年10月の東京宣言では、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すると細川護熙首相とエリツィン大統領の間で合意がなされた。