井上ひさし氏は、日本語ができないパルバース氏が、短期で日本語の基礎をマスターするために韓国で学習した事例を紹介する。〈日本語ができないパルバースさんはどうしたかというと、このあたりはすごいなあと感心してしまうのですが、韓国に行って日本語を勉強することにしました。韓国には、戦前のおぞましい過去もあるし、日本が経済成長をとげていたこともあって、日本語を勉強する方法論が発達していたんですね。パルバースさんはそこに気がついて、韓国の日本語学校へ行って、掃除夫として雇ってもらったのです(笑)。掃除をしながら授業を聞いて、とにかく猛烈に勉強したそうです。そして四月になって日本に戻ってきて、雇ってくれた大学へ「おはようございまーす」なんて挨拶しながら入っていった(笑)。〉(井上ひさし『日本語教室』新潮新書、2011年、178~179ページ)

この事例は、非常に興味深い。子どもが母国語を覚えるときには、環境の中で自然に言語を習得している。特に教えられることもなく、文法を身に付ける。しかし、成人になってからの外国語習得は、そのような自然な方法ではできない。文法と語彙を意図的に覚え、読む、聞く、話す、書く能力の訓練も行わなくてはならない。ここでは、母国語、これまでに習得した外国語と、これから習得する外国語の差異を意識することになる。この経験は、母国語、ならびに外国語の表現力を豊かにするのである。同じ事柄であっても、母国語と外国語では、意味領域の違いが必ずある。両者のニュアンスを極力近づけようと努力することで表現力が身に付くのだ。筆者自身の経験について述べたい。

筆者は、外務省に1985年4月に入省するとロシア・スクールに配属された。外務省には学閥はないが、スクールと呼ばれる研修語学による語学閥がある。ロシア・スクールとは、ロシア語を研修し、対ロシア(ソ連)外交に従事する外交官の語学閥を指す。日本の外交官は、語学研修を行った国に愛着を持つようになる。米国で研修したアメリカ・スクールは米国に、中国で研修したチャイナ・スクールは中国に、エジプトやシリアで研修したアラブ・スクールはアラブ諸国に愛着を持つようになる。これに対して、ソ連時代のロシア・スクールはソ連に対して愛着や共感をまったく抱かなかった。ソ連建国の父であるレーニンが「資本主義国の外交官はスパイだ」と言ったことから明らかなように、ソ連は資本主義国の外交官を警戒し、日常的にKGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)の監視下に置いていた。盗聴や尾行はもとより、日ソ関係が悪化すると身体に危害を加えられることすらあった(筆者もしびれ薬を飲まされたり、警官に殴られたりしたことがある)。ロシア人と個人的に付き合うこともない。それだからソ連に対して共感を持つ日本人外交官はいなかった。ロシア・スクールは、反ソ・反共で米国との軍事同盟を強化することによってソ連に対抗する必要があるという考えでまとまっていた。