薩摩和男(さつま・かずお)/1951年生まれ。1974東大法学部卒。75年吉兆に入門し、78年美々卯入社。92年社長就任。2016年から灘中学・高校同窓会会長(撮影:今井康一)

名門高校には、偏差値や大学進学実績だけでは測れない何かがある。伝統が生み出す独自の校風、質の高い授業や指導体制、優秀な生徒が集まり切磋琢磨する雰囲気、卒業生のネットワークなどだ。8月6日発売の『週刊東洋経済』で特集した「ザ・名門高校 校風、進学実績、人脈の大研究」取材班から5回にわたって、名門校で育った企業トップたちの高校時代に迫るリポートをお届けする。最終第5回は灘高校に通った美々卯社長の薩摩和男氏。

学校の雰囲気はまさに自由。授業が終わるとホームルームもなく、生活指導のようなものを受けた記憶もない。校則もなかった。宿題は山のように出たため大変だったが、勉強以外は野放しだった。

東大紛争の影響を受け、高校2年生のときには、それまでの詰め襟制服がなくなり、丸坊主でなくてもよくなった。

放任主義でもあったが、生徒に対する先生の信頼があったのではと思う。「やんちゃはするだろうが、一線を踏み越えることはないだろう」と。

あるとき、授業をサボって友人たちと喫茶店に行った。楽しく話している途中、後ろの席に化学の先生がいることに気がついた。先生は僕らがいることに気がついているが、知らんぷり。「そういうこともあるやろ」と懐の深さを感じた。すごい学校やなと思った。

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