磯崎功典(いそざき・よしのり)/神奈川県出身。慶応義塾大学経済学部卒。1977年キリンビール入社。米国留学を経て、子会社でホテル経営などに従事。2004年サンミゲル(フィリピン)副社長。10年キリンホールディングス常務取締役、12年キリンビール社長。15年から現職。(撮影:山内信也)

名門高校には、偏差値や大学進学実績だけでは測れない何かがある。伝統が生み出す独自の校風、質の高い授業や指導体制、優秀な生徒が集まり切磋琢磨する雰囲気、卒業生のネットワークなどだ。8月6日発売の『週刊東洋経済』で特集した「ザ・名門高校 校風、進学実績、人脈の大研究」の取材班が5回にわたって、名門校で育った企業トップたちの高校時代に迫るリポートをお届けする。

第4回は神奈川県立小田原高校に通ったキリンホールディングス社長の磯崎功典氏。

小田原高校は、とにかく蛮カラな校風でした。女子生徒は少なくて、ほとんど男子校でしたね。とにかく自由で、さすがに制服は着なくちゃいけなかったけど、それ以外であまり校風に縛られた記憶がない。

父親の病気で、悶々とした高校生活

先生方は、みんな小田高(おだこう)のことが好きだったはずです。それに教養もありましたね。小田高を出て大学に入って、先生としてまた小田高に戻ってきてといった先生が何人もいました。古文では『おくのほそ道』や『平家物語』に詳しい先生がいてね、知識の豊富さにほれぼれしながら授業を聞いていました。

1969年に高校に入ったんですが、学生運動が盛んだった時期で、大学だけじゃなく高校にもその動きが波及してきていた。以前の小田高は文武とも力を入れていたんですが、生徒が授業に反対なんかしちゃったりして。先生も「じゃあ予備校に行ったら」って感じになって。それもあってか、全体の学力は落ちていっていた気がします。

高校2年生の秋にあった文化祭までは吹奏楽部にも入って楽しくやっていましたが、実はそれ以降はあまり高校生活を楽しめなかったんです。中学3年の10月に父が脳梗塞で倒れ、なかなか快復せず、高校2年の頃から家計が苦しくなり始めていました。それで吹奏楽部を辞め、兼業農家をやっていた実家の農作業に本格的に手伝いに入ることになりました。

特に大変だったのは、試験勉強。同級生が試験勉強の時間に充てている土曜の午後や日曜日はだいたい農作業に追われます。みかんや梅が入って20キログラム以上になったコンテナを担いで山を何往復もする肉体労働をしているので、夜になるとすぐ眠くなってしまい試験勉強どころではなかったんです。

加えて、高校卒業後は進学せずに父親と同じ会社に就職することが決まっていました。母親に家計の面で心配をかけたくなかったので渋々承知したものの、内心では納得できずに少しふてくされてしまった時期もあった。学校に行くふりをして熱海や小田原の海岸で一日中海に向かって「なーんかつまんねえなあ」って思いで石を投げていたこともありました。

(撮影:山内信也)

勉強に身が入らず、成績は急降下