中西宏明氏は高校時代、東京工業大学に興味があったという(撮影:大澤 誠)

名門高校には、偏差値や大学進学実績だけでは測れない何かがある。伝統が生み出す独自の校風、質の高い授業や指導体制、優秀な生徒が集まり切磋琢磨する雰囲気、卒業生のネットワークなどだ。8月6日発売の『週刊東洋経済』で特集した「ザ・名門高校 校風、進学実績、人脈の大研究」取材班から5回にわたって、名門校で育った企業トップたちの高校時代に迫るリポートをお届けする。第1回は東京都立小山台高校に通った経団連会長、日立製作所会長の中西宏明氏。

横浜市に住んでいたが、小学校から都内に通っていた。当時はそういうことは多かった。

公立の田園調布小学校、田園調布中学校から都立高を受験して、小山台高校に通った。同じ学区(編集部注:学区は2003年の入試以後、廃止された)には日比谷高校もあったが、そこまで成績がよくなかったのと近かったから(笑)。

当時、小山台は東京工業大学の進学者数がトップで、年間60人くらいが東工大に進んだ。東京大学には浪人も入れて年間40人弱くらいで進学者数では11位か12位。トップが日比谷だった。

僕は東工大に興味があった。実は現役では東大の文2を受けた。高校時代にすごく本を読んで、数学も好きだが文化系もいいな、と思った。東大の文3を受けると言ったら親に反対されて文2。それに落っこちて浪人のときに理1にした。

それは後の話で小山台を選んだのは、東工大へのあこがれと近かったから(編集部注: 小山台高校は東急目黒線・武蔵小山駅からすぐで東急東横線沿線の自宅から通いやすい)。

反発が社会的な要素に絡んで高校でも議論を呼んだ

高校時代は水泳班(部のこと)。当時、小山台の運動部はどこも強くなかった。むしろ、ベトナム戦争のまっただ中で、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が設立された時代。学校内でも右と左の意見対立があって、このクラブは右、こっちは左というのがあった。

水泳班はどっちつかず。僕はどちらかというと右の論客でね。一方、中国にすごく興味があった。あと、僕は保守だけどベトナム戦争では明らかに反米だよ。だけど、ものすごく米国にも興味があり、中国にも興味があった。政治的な話題が豊富な世代だ。高校がというより、時代だったね。学生運動もあった。

受験、受験、受験、受験の時代でもあり、それに対する反発が社会的な要素と絡んで高校でもいろんな議論を呼ぶ。生意気な奴も多かった。