ヤマハは楽器や音響機器で培ってきた技術で、さまざまな事業に進出してきた(撮影:梅谷秀司)

「総合的に楽器を手掛けているメーカーはほかにない」。国内楽器最大手、ヤマハの中田卓也社長は、業界のガリバーとしての自信を見せる。楽器を作る安定したメーカーというイメージの強いヤマハだが、実はその歴史は事業の拡大と縮小の繰り返しだった。

電子楽器で培った半導体技術を応用して着メロ用LSIを作っていたこともあれば、楽器の木工技術を活用して参議院の議長席を手掛けたこともある。だが2000年前後から手広く行ってきた事業を縮小し、現在ではギターやピアノなどの楽器や、コンサート会場などで使われる音響機器が売上高・営業利益の9割を稼ぐ。

ただ、ヤマハは事業領域の拡大をやめたわけではない。安定化してきた楽器や音響機器の収益を土台として、中田社長は過去とは違う拡大を模索している。

楽器・音響機器だけで稼げるようになった

──かつてのヤマハは事業の多角化を進める一方、収益性は不安定でした。

従来は技術の親和性があるというだけでさまざまな事業を展開していた。だが技術の中にも、ヤマハ本流の技術と、別にヤマハでなくてもいい技術がある。その線引きがきちんとできていなかった。

2017年度に営業利益の過去最高を更新する以前は、2003年度が最高益(450億円)だった。しかしそのうち楽器や音響機器の事業は150億円しか占めておらず、300億円は半導体事業によるものだった。当時は携帯電話(ガラケー)向けの着メロチップが非常に売れた。だが(スマートフォンが普及して)着メロブームが去り、2012年頃に円高が急速に進んだため、当時は利益が大きく上下した。

その後は選択と集中を進め、現在では楽器・音響機器だけでほとんどの利益を稼げるようになった。これが以前との大きな違いだ。しかも、以前も営業利益率で8%ほどの水準を出したことがあるが、現在では10%を超えるレベルまで上がってきた。楽器という安定した事業での収益性を意識しているうえ、体力もついてきた。今後大きくふらつくことはないと思う。

──楽器や音響機器事業の収益性をどのように高めてきたのですか。

2010年から米国法人社長を務めていたときの経験が背景にある。社長赴任が決まった頃に1ドルが100円を切り、みるみるうちに90円、80円まで円高に振れた。私が趣味にしているカメラのレンズは安くたくさん買えた一方で、商売のほうは米国外の工場で作った楽器の仕入れ価格が毎月のように上がっていった。

この頃は(製品やブランドに)自信がなかったため、円高になってもまったく価格を変えず、利益は圧迫される一方だった。だがあるとき、米国法人の社員たちを「ヤマハが価格を上げないから他社も我慢しているんだ。私が責任を取るから上げてみろ」と説得した。すると、ある程度は価格を上げることができ、同じく米国外で製造した製品を輸入して苦しんでいた他社も、「ヤマハが上げてくれた」とついてきた。

結果的には値上げだが、「今までの価格が安すぎた」と皆がわかってくれた。値上げしたのはヤマハのブランドがあったからという面もある。当時の感覚があったため、日本に帰国してからも価格の適正化はもっと積極的にやるべきだと思った。今は仮に1ドル80円になったとしても、ある程度は価格に転嫁できる。不当に高く売っても仕方ないが、リーズナブル(合理的)な値段というものはある。

音響機器や楽器は価格の適正化を進め、収益性が高まった(撮影:梅谷秀司)

──以前は決まって、楽器がよく売れるクリスマス商戦後の第4四半期が赤字になってしまう傾向がありました。