
方法論と現実のジレンマの中で格闘
評者 中央大学商学部教授 江口匡太
政治学に限らず、社会科学全般にわたり、反証可能な仮説(理論)の提示と、データによる検証が重視されるようになった。データの検証に耐えられたものは生き残る一方、耐えられなかったものは理論の再構成を迫られることになる。説明力の低い理論は修正され、再びデータの検証にさらされる。この繰り返しによって、頑健な理論が構築されていく。この科学的な検証手続きを踏まえていないものは、たとえ重要なテーマを扱っていようと学術業績として認められにくくなった。
科学的な検証は社会科学でも当然必要である。しかし、そこには大きなジレンマがある。反証可能な仮説を提示するのは簡単ではないし、それを立証することはさらに困難である。実験室で自由に実験を設計できる自然科学と違い、地球は一つしかない以上、社会科学は再現可能な実験ができない。その中で厳密な検証手続きにこだわるほど、検証できることは少なくなる。その結果、喫緊の課題であっても、専門的な見解を提示できなくなってしまう。
真摯に研究成果を出そうとする研究者ほど、このジレンマに悩まされるのかもしれない。社会科学を志す者の多くは、戦争と平和、貧困、格差、差別のような深刻な社会問題を少しでも解決したいという思いがそのきっかけであることが多い。きちんとした学術的成果を求めるあまり、そうした重要な問題に貢献できないのでは本末転倒ではないか。科学的方法論に対するいらだちにつながる。

著者は政治学の第一人者であり、科学的検証の重要性を最も認識している1人である。サーベイ実験と称される、巧みに構成したアンケート調査を用いて、現代の日本政治をスマートに分析する一方、方法論と現実のジレンマの中で格闘している様子も伝わってくる。それでも科学的な検証手続きから逸脱したメッセージを発信することは、少なくとも学者の仕事ではないという思いが本書の底流となっている。このように感じたのは評者が経済学を専門としていることもあるかもしれない。
本書は安倍政権や憲法改正といった現代日本政治を対象としている。その中で、一国の大統領や首相の外交メッセージに信憑性をもたらすのは、背後の有権者の存在が大きいことを示した第四章と、憲法主義と民主主義は相いれないことを述べた第九章は、ゲーム理論的な思考に慣れ親しんだ評者には説得力があり、興味深かった。