井上ひさし氏は、日本語をより深く習得するためには、日本語に似た言語に関心を広げることが重要であると述べる。

〈私たちは眼ですべてのものを見ています。けれども自分の眼だけは見ることができません。同じように、日本語で日本語を考えることも至難の業(わざ)のようです。自分のことを自分で考えるということは大変むずかしくて、これはイギリス人のバートランド・ラッセルという人が体系づけをしているくらいです。自分が属しているものを属している自分は見ることはできない、つまり日本語のことを日本語で考えても正確にはわからないということになります。

そこで学者たちはまず、日本語とよく似た構造の言葉を見つけだして、その言葉を徹底的に勉強しました。自分が属している言葉ではないので、徹底的に分析も観察もできるわけですね。その上で、その言葉の文法をきっちり整理し、次に日本語との共通点を探すことによって、逆に日本語の文法とはこういうものだということがわかるだろう──学者たちはそういうふうに考えました。

最初は南方系(オーストロネシア)が流行りでした。南方系の言葉も日本語も母音は「aiueo」で、すべての言葉は開放音で終わっています。ですから、日本語の母音については南方系の影響がかなりあるらしい。これはもう疑いの余地がありません。また、二重母音──「au」「ai」「ui」などを多用する点も、日本語と南方系言語は似ています。そのほか、言葉の幹になるところ、語幹の大部分が二音節であるというところも共通しているんです。特に動詞、形容詞ではそうなっていて、日本語で例をあげれば「動く」「歩く」「座る」「食べる」「笑う」「高い」「多い」「赤い」「青い」というような言葉です。〉(井上ひさし『日本語教室』新潮新書、2013年、164~165ページ)

確かに50年くらい前までは、日本語のルーツを南方系に求めるのが流行だった。しかし、現在は朝鮮語やモンゴル語との類似性を追究することが流行になっている。その経緯について、井上氏はこう記す。