高校の位置づけを知るうえで重要な指標となるのが、大学の合格実績だ。2018年入試で難関国立大学(旧7帝大+一橋大、東工大、神戸大)の合格者数を基に、都道府県別に上位からランキング。全国で上位500校に入った各地域の代表校を選んだ。

北海道・東北

関東

 

Interview|経団連 会長、日立製作所 会長 中西宏明
[出身校:東京 小山台高校]

運動会に燃え、妻を見つけた

(撮影:大澤 誠)

高校では水泳班(部活を班活と呼ぶ)だった。運動会がすごくて、特に棒倒しが華だった。ケガは当たり前。私もトレーニングパンツが半分ボロボロになった。攻める側で(棒倒しに)勝った記憶がある。4つの団に分かれ、団歌を作って応援する。その日一日は燃えた。

妻は同級生で2年間同じクラスだった。でも、当時は別の彼女がいたんだ(笑)。妻とは大学時代に同窓会で再会し、会社に入って1年後に結婚した。新日鉄住金の宗岡(正二会長)さんは私の1学年下。宗岡さんの兄貴も同窓で、私が工場勤務になったときの総務部長だった。後に日立製作所の専務になった。キヤノンの御手洗(冨士夫会長)さんは今でも結構お会いする。

受験受験の時代だから勉強もしたけど、すごく本を読んだ。授業をサボって書店に入り浸った。成績がよければ問題ない。振り返ると財産だね。

 

Interview|NTTドコモ 社長 吉澤和弘
[出身校:群馬 前橋高校]

自主性尊重の飾らぬ男子校

(撮影:今井康一)

「質実剛健」「気宇雄大」。校訓どおりの学校だった。自由奔放な男子校で飾らない。たしか校則もほとんどなかった。生徒はそれぞれ、自分でやることに取り組み、先生もとやかく口出ししない。学校外で用事のある先生がいると、先生同士でコマを交換し、外出した先生の授業をカットして、「今日はもう終わり!」ということがよくあった。普段から自分を律していたから、勉強する生徒はきちんと勉強していた。

部活のサッカーばかりしていたから、勉強はほとんどやらなかった。3年生は理系クラス。8人くらいが医者になったおかげで健康相談に困らない。IHI副社長の大谷宏之君やベガシステム社長の多賀谷哲也君もクラスメートで、年に3〜4回は飲んでいる。クラス会も毎年企画しており、担任の先生も来てくれる。今年は11月に野沢温泉でやる予定で楽しみ。各分野で活躍する同級生と会うのは、いい刺激になる。

 

Interview|鹿島 社長 押味至一
[出身校:神奈川 横浜市立南高校]

家計を支えた苦労続きの青春

(撮影:今井康一)

浮ついた高校生活ではまったくない。倒れた親父の代わりに家計を支えようと、平日は新聞配達、休日は郵便物の仕分けをした。夏休みには住み込みで船の荷積みに従事。夕暮れ時に船底に下り、積んだ自動車がぶつからないよう角材でタイヤを固定する作業を夜中まで手伝った。数少ない楽しみは、休日に近所の子どもと大家さんの家のテレビでサッカーを見ることくらい。ただ家庭が貧しかったため当時の学費は無料で、支援してくれる先生にも恵まれた。ちなみに妻と二女も同じ高校だ。

高層ビル建築の映画に心を打たれ、大学卒業後は鹿島に就職。配属から支店長就任までずっと横浜支店だ。英一番館という鹿島の記念碑的な建物の跡地でのビル建築や、みなとみらい再開発にも携わった。何もない土地から街が生まれる過程を目の当たりにし、横浜の開発の歴史の始まりに立ち会えたことは、建設業として冥利に尽きる。

 

Interview|キリンホールディングス 社長 磯崎功典
[出身校:神奈川 小田原高校]

蛮カラで自由、先生とも距離近く

(撮影:山内信也)

もともと男子校だった小田原高校は、当時まだ女子生徒が少なく男子校色が非常に強い学校だった。蛮カラで自由な校風で、さすがに制服は着ていたが、あまり校則に縛られた記憶がない。

生徒と先生の距離が近い学校でもあった。一時、家の都合で高校卒業後は大学に進学せず就職することが決まったときは、やるせない気持ちになった。学校へは行かず、一日中熱海や小田原の海岸で海に向かって石を投げていたこともあった。だが事情をわかっている先生方は親身に励ましてくれるなど、おおらかな対応をしてくれた。

数年前に母校の生徒たちの前で話す機会があったときに、哲学や宗教など一般教養の重要性を話した。社会に出てから、教養の大切さを身にしみて感じていたからだ。今の生徒には、ボランティアなどで、学校の中だけでなく地域社会とも積極的にかかわりを持ってほしい。