7月11日の昼下がり、都内の区民館の一室は講演を聴きに来た70人近くの高齢者で満員だった。講演者は石飛幸三医師で、テーマは「住み慣れた地域で平穏な最期を迎えるために」。

2010年に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』を上梓して以来、石飛氏は全国各地で講演を行ってきた。冒頭、「いろんな考え方があります。私の話に文句をつけてくれても構いません。本音の話をしましょう。ひとごとじゃないんだから」と語りかけた。平穏死を説き続けてきた石飛氏に、現状への見方を聞いた。

いしとび・こうぞう●1935年広島県生まれ。61年、慶応義塾大学医学部卒業。東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年から特養の常勤医師に。

──親の最期が迫ると、医師に「何でもしてやってください」と言う家族は少なくないようです。

結核で死んでしまうような時代もあったが、今では(医療の進歩で)みんな長生きするようになった。そして何かあったら「死んだら大変だ!」と言って救急車を呼ぶ。病院に運び込めば医師が助けてくれるような錯覚に陥っている。でも、人はいずれ逝く。はっきりそれを自覚したほうがいい。

健康のことばかり考えていると、こんなはずじゃなかったと裏切られる。歳を取ったら誰でも体のあちこちが傷んでくるんだ。それに腹を立てても、心は静まらない。「健康のためなら死んでもいい」なんていう冗談があるけど、順序が逆。自分の体はいずれ朽ちていくんだから、一度しかない人生をどう生きるかを考える。「ああ、これでよかった」と思って自らの人生を仕舞えるのか。それこそが生き方だよ。

──死について親子で話をするのは難しくないでしょうか。

だから、俺たちはいずれ死ぬんだって。「死は不吉だから」と言う人もいるが、それは問題を先送りしているのと一緒。そのうち親がぼけてしまったら、腹を割った話ができなくなる。

「ちゃんと看取る」と子どもが言えばよい