週刊東洋経済 2018年8/4号
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[独自調査]経験者600人の声から見えた看取りの教訓

「あなたのお父さんの体は、もう食べ物を必要としていません。終わりに向けて準備をしています」──。

北野洋子さん(仮名・47)は今年6月初め、実父(81)が入居する有料老人ホームの医師から冒頭のように言われ、余命は「長くて3カ月」と告げられた。父は5月末にこのホームに入居したばかり。そしてすぐ、父は食べ物を受け付けなくなった。

15年前にくも膜下出血で半身マヒとなり、在宅で長年介護をしてきたが、母が疲れてしまい、昨年9月に特別養護老人ホーム(特養)に入居した。だが今年4月、最も重度である「ステージ4」の一歩手前の大腸がんが見つかる。高齢で半身マヒの父に手術は難しく、食事と歩行のリハビリを行って退院した。以前の特養からは病状の重さを理由に受け入れを断られたため、今のホームに入った。余命宣告はその直後だった。

最期の思い出作り 30分間の帰宅

ホームは石川県の実家近くにあり、在宅医療の経験豊富な医師と看護師が24時間対応する。入居時に北野さん家族はホームと話し合い、容体が悪化しても胃ろうなどの人工栄養、人工呼吸器などの延命治療はしない旨を取り決め、書面に印鑑を押した。

余命を家族に告げた医師は、「最期にお父さんに何をしてあげたいですか」と聞いてきた。そこで長女は病院でのある一幕を思い出す。リハビリの先生に退院したらやりたいことを問われた父が、マヒで言葉を発することが難しい中、かすれた声で「帰りたい」と口にしていた。「父はきっとわが家に帰りたいのだろう」。家族の考えは一致した。

すぐに準備を整え、医師の付き添いの下、父は30分間だけの帰宅を果たす。昨年9月以来の帰宅に合わせて、家では孫やひ孫まで、親族が一堂に会した。父は到着するとまず仏壇に手を合わせ、その後、孫一同、ひ孫一同と代わる代わるパターンを変えて記念撮影。最期の思い出作りだった。

洋子さんの父は今、点滴だけで過ごしている。母と同居する長女は平日の見舞いと母の送り迎えをし、二女は休日にホームを訪れる。健康志向で定年後は家での晩酌をやめ、口癖のように「80歳まで生きるのが目標だ」と語っていた。「くも膜下出血で死の淵をさまよってから15年も生きられた。大往生だ」。家族はそう考えている。すでに父の遺影を決め、葬儀場も見学済みだという。

「80歳を過ぎてがんになるのは仕方ない。今は自然に冷静に、父の状況を受け止めることができている」。洋子さんは親を見送る覚悟をそう語った。

(撮影:尾形文繁)

「おまえたち、頼むな」 父の意向をかなえられず

「父は集中治療室(ICU)に2カ月入り、あらゆる治療を受けた。まるで実験台のようだった」

そう振り返るのは東京都在住の住田郁江さん(仮名・59)だ。住田さんは同居していた実父を2009年に亡くした。76歳だった。心臓病で通院していたものの、父は認知症の母(現在86)を介護しながら元気に暮らしていた。

だが75歳のとき、脳の血栓が見つかった。カテーテル治療をしたが、その後、足に血栓が見つかり入退院を繰り返した。救急車で運ばれて再入院したとき、父は病院のベッドから転落し、腰を打って動けなくなった。病院は骨折はしていないと診断したため、住田さんは不信感を持った。

都内の別の大病院に転院すると、骨折と診断されてすぐにICUに入った。父を担当したのは若くて一生懸命な医師で、薬や治療方法を変えてさまざまな措置を施した。

だが住田さんには治療の詳細がわからない。何による副作用かも不明なまま、父はうなるようになり、しだいに意思疎通が難しくなった。自分で点滴を抜こうとするので手が拘束された。誤嚥(ごえん)のおそれがあるため水を飲むことも止められ、みるみる弱っていった。

心臓病を抱えていた父は、70歳代になってから最期を意識し、臓器提供意思表示カードを持つようになった。近所の人が亡くなったときには、家族との夕食の場で「俺には絶対に延命治療とかはしてくれるな。おまえたち、頼むな」と話していた。

住田さんは父の意向を医師に伝え、「父は治るのでしょうか? 難しいなら苦しむ治療はもういいです」とおそるおそる聞いてみた。すると医師はこう答えた。「治るかどうかわからないですが、よくなるかもしれないから、私にやらせてください」。

結局、亡くなるまでの2カ月間、父はベッドの上でずっと苦しんでいた。「おまえたち、頼むな」と言われていたのに、父の望んだようには看取ってやれなかった。

「私も妹も医療の話はよくわからない。先生の提示する治療を拒否することなんて考えもしなかった。後になり、セカンドオピニオンを取るなどして自分たちで判断することもできたのだと知った」と、住田さんは振り返る。そして、「父の死によって学んだ。これからは病院任せにはしない」と言う。

住田さんの母は、認知症の進行を遅らせる薬や便秘薬を病院から大量にもらっていた。父の死をきっかけに住田さんが妹と相談し、近所にある内科クリニックをかかりつけ医に選んで薬を見直すと、その量がかなり減った。

母との意思疎通は難しくなっているが、意識がはっきりしているときに、努めて人生の最期の希望を聞くようにしている。すると、「お父さんのようにはなりたくないの」と母は答える。その内容はエンディングノートに記している。「母はICUにいる父の姿を見てから一度も見舞いに行かず、死に目にも会わなかった。認知症だけど、父の姿から感じるものがあったのでしょう」(住田さん)。

住田さんは自身もエンディングノートを書き、息子(30)にその保管場所を伝えている。「息子もおじいちゃんの壮絶な死を見ているから、きっと私の思いをきちんと受け止めているはずです」。

親を看取った人たちが打ち明けた本音

本誌は7月1〜11日にメールマガジンを通じて親の介護や看取りについてアンケートを実施した。有効回答数2774のうち、親と人生の最終段階の医療やケアについて「詳しく話し合ったことがある」と回答した人は、全体の5%。「一応話し合っている」と回答した人は37%、「まったく話し合ったことがない」人は58%という結果だった。

まったく話し合ったことがない理由(複数回答)は、「親が元気だから」が最多で、次いで「親との話題にしにくい」との意見も多かった。中には、「話し合ったところで、その場面にならないと結論は出ない。事前の話し合いは机上の空論」(50代男性・北海道)との声もあった。

看取りを経験した人から自由記述形式で得た約600の回答のうち、主なものを記事下に示した。家族にとって精神的な負担が大きいのは、医師から親の命にかかわる重大な判断を求められた場合。延命治療における判断について苦慮したという声が多かった。

「親の意向ではない人工栄養を、医師の言うままにした」(60代男性・神奈川県)、「経鼻栄養や点滴、抗生物質などを当然のように処置され、“スパゲティ状態”になって衰弱した」(50代男性・広島県)、「いざ親の容体が悪化すると、できるかぎりの治療をしてしまい、つらい思いをさせた」(50代女性・愛知県)などの声が聞かれた。

昨年90歳になる父を亡くした大阪府在住の50代女性は、医師から提案された治療を尽くしたが、「この判断が90歳の親にとってベストな選択だったのか、1年経つ今もなお考えさせられる」と言う。「医師と比べ医療の知識が少ない患者側の家族には、医師が最適と提案してきたものを承認する程度の時間しか与えてもらえず、瞬時の判断になることが多かった」とも振り返った。

親にどこまで治療を行うかできょうだいと意見が食い違うケースも多い。同居したり、日常の介護をしていたりする子どもとは別に、離れて暮らすきょうだいがいるときは要注意だ。東京都在住の50代男性は、「本人の最期の考えは普段から聞き、書面にまとめていた。ところが、最期になって同居していない妹が延命治療を強く希望し、説得に苦労した」と言う。

死んだ親を思い出すとき、その場面は決まって最期

高齢者を看取る機会が多い千葉県のクリニックに勤務する医師は、「最期が迫ったときに駆け付けた子どもが、『なぜこの医者は治療もしてくれないの!』と、これまでに話し合って決めた方針を覆そうとすることがよくある。遠方から駆け付けることから“カリフォルニア娘”と呼ばれる」と話す。こうした事態を防ぐために、気の利く医師であれば普段接する家族に対し、遠方の家族にも事前に根回しするよう促すという。

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