井上ひさし氏は、たいへんな読書家だ。一つの作品を書くために、数百冊の文献に目を通す。表現法との関係では、国語文法に井上氏は特別の注意を払い、こう述べる。

〈二十年ほど前に、ぼくは『私家版日本語文法』という本を書きました。自分で言うのも変ですが、これはわりにおもしろくよく書けています。興味のある方は、新潮文庫に入っていますので読んでみて下さい。これで今日の話はおしまい(笑)、というわけにはいきませんね。まあ、そのころからずーっと文法のことを考えてきたのですが、日本人にはもう文法は必要ないという結論に達しているところです〉(井上ひさし『日本語教室』新潮新書、2011年、159ページ)

作家が制度化された学術分野に関する事柄について語る場合に重要なのは、先行学説を踏まえて、それに自らの見解を付け加えることだ。国文法に関して、井上氏は佐伯梅友氏(1899~1994年)の学説を基本に据えている。佐伯は京都帝国大学を卒業し、主に日本古典語文法の分野で業績を残した。主著は『万葉語研究』『上代国語法研究』である。井上氏が取り上げるのは、佐伯氏の論文「口語文法と文語文法」(『口語文法講座1 口語文法の展望』明治書院、1965年)だ。この論文を敷衍(ふえん)して、井上氏はこう述べる。〈まず、どんな民族であれ、ひとつの民族が用いている言葉の中には、ものを言うときに、どんなふうに並べていくのか、おのずから法則がある。日本語もその例に洩れない。けれども、その法則は無意識に習得されていて、つかみどころがない。これを学者が取り上げて整理し組織立てたときに初めて他の日本人にも、「ああ、時枝(あるいは橋本)という学者の眼を通すと、こういうふうに整理されるのだな」と理解できる。けれども、一般に「口語文法」というときの「文法」というのは、だれが整理し組織立てたものなのか、わからない。これはつまり、私たちひとりひとりそれぞれにそれぞれの文法があるということです。それでかまわないということなんですね、文法の仕組みとは。/私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです。無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから〉(前掲書161ページ)。