井上礼之ダイキン工業会長が考える経営者の「引き際」とは(撮影:今井康一)

社長、会長として19年間君臨し、ダイキン工業をグローバル優良企業に育て上げた井上礼之会長は間違いなく日本のカリスマ経営者の一人だ。

しかし、もともとエリート街道を走ってきたわけではない。まともに就職活動もせず、大阪金属工業(現ダイキン工業)に就職したのは父親のコネ。新人時代には10日間も無断欠勤したこともある。後に仕事に目覚め、人事・総務畑で順調に出世していく。それでも主力の空調事業の経験はなく、1994年の社長就任は11人抜きだった。

一介のサラリーマンがいかにしてカリスマ経営者となったのか。そして、カリスマ経営者に共通する最大の課題である、引き際をどう考えるのか。

私はダイキンの4代目の社長に当たる。前任の社長(山田稔氏)は創業一族の長男だったが、会長になって11カ月で亡くなってしまった。ダイキンに勤めていた(前任社長の)弟さんも同じ年に死んでしまった。その後、創業一族は株も売ってしまい誰もいなくなった。

しかも就任当時は赤字だった。そうした状況でバトンタッチを受けたら覚悟しかない。追い詰められて、いつでも退任と紙一重でやってきた。

一方でグローバル展開が進み、自分がやってきた買収で引き入れた海外人材がようけいる。今もすぐに買収の話がくる。グローバルグループ代表という肩書を作って残っておらざるをえない。こういうのは覚悟の逆かもしれないが、そんなふうに経営者の道をたどったのかもしれない。

逆境のときこそチャンスがある

──リーマンショックの直後、日立製作所が7000億円超の赤字に転落しました。そのときにある日立の役員から「これでウチは変われるから、よく見ていてください」と言われたことが非常に印象に残っています。「これまで改革をしようと思ってもなかなかできなかった。7000億円の赤字が水戸黄門の印籠のようになって、できなかった改革ができるチャンスだ」と。

それ以来、企業や経営者にとって、危機こそチャンスであり、逆にいいときにこそ次の危機の芽が育っていると思って見ています。

そう思います。企業にはそういうところがある。

私が社長になる前にココム事件(対共産圏輸出統制委員会の規制に違反して化学物質をロシアへ輸出していた事件)などいろんなことがあって、利益がどんどん落ちて赤字に転落した。経営幹部の派閥争いも業績を悪くしたと思う。前社長は20数年社長をやられて、バトンタッチまでの5年間はがんを煩っていた。経営幹部が群雄割拠の権力闘争のようになってダイキンは衰退していった。

しかし、そういうマイナスがあったから立ち直れたのだと思う。もし業績がよいときに私が社長になっていたら、こんなに成長する企業にはならなかった。

逆境のときに(社長に)なったから、皆さん言うことを聞いてくださった。私より年上の役員が11人いたが一人も辞めんと一緒にやってくれましたから。

本当に人というのは不思議なもの。そうしたことからいつの間にか人基軸と言うようになった。

──井上会長はサラリーマン経営者です。にもかかわらず、オーナー経営者と同じにおいがします。サラリーマンであっても覚悟を持つしかない状況で生き抜いた結果、オーナー的な思考になったわけですね。

まったくおっしゃる通り、そうだと思います。

私はオーナー会社で育った。どこでもいいわ、とダイキンに入社して、サラリーマンとして工場勤務20年できた。サラリーマンのくせにオーナー経営者に近いところもあると思います。

一方でサラリーマンでもあり、無意識のうちにそうした使い分けをしているのかもしれません。言われてみればそうですね。オーナー的なところあるな。ワンマンか。

生き残るためには「オーナー的思考」が必要だったという(撮影:今井康一)

──サラリーマン経営者かオーナー経営者かにかかわらず、企業の危機を救ったり、急成長させた“中興の祖”は、必然的に創業者マインドを持つようになると感じています。