今回から井上ひさし氏(1934~2010年)の日本語の技法を学ぶ。テキストは2011年に上梓された『日本語教室』(新潮新書)を用いる。本書は01年10月から4回、上智大学において行われた連続講演を基にしている(主催は上智大学卒業生の親睦団体である「ソフィア会」)。井上氏の表現法が、本書ではわかりやすく表現されている。

井上氏には、卓越したマネジメント能力とプロデュース力がある。筆者が今日、職業作家として自立することができているのも井上氏の助言によるところが大きい。そのときの経緯について、読者に紹介したい。

筆者は、鈴木宗男事件に連座して02年5月14日、東京地方検察庁によって逮捕され、東京拘置所の独房に512日間勾留された。05年3月に一審判決(懲役2年6カ月、執行猶予4年)を言い渡されるのを待って、事件の内幕を記した『国家の罠─外務省のラスプーチンと呼ばれて』を同月末に新潮社から上梓した。

筆者の作家デビューを全力で応援してくれたのが、作家でロシア語国際会議通訳の米原万里さん(1950~2006年)だった。米原さんから電話がかかってきて「井上ひさし先生があなたと会いたいと言っているので、時間を調整して」と言われた。米原氏の妹は井上氏の妻だ。したがって、井上氏は米原氏の義兄になる。

当時の筆者は、事件のときのメディアスクラムがトラウマになっていたので外出がとてもおっくうだった。返事をせずに話をそらすと、米原さんに「あなたが作家になるために役に立つ話だから、絶対に来なさい」と追い打ちをかけられた。米原さんは他人に自分の意志を強要するようなことはめったにないが、このときだけは例外だった。キリスト教では、神は必要なときに、対象となる人間の意志に反してでも上から介入してくると教える(神学用語では啓示という)。米原さんは上からの介入を行い、井上氏から作家として必須の事柄について啓示を受けた。

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