
不合理な意思決定との結びつきを明瞭に推論
評者 兵庫県立大学大学院客員教授 中沢孝夫
米国との戦争は「高い確率で日本は敗北」することがわかっていたが、それゆえ「低い確率に賭けてリスクを取っても」日米開戦への道を選んだ日本のエスタブリッシュメントたちの葛藤を、通称「秋丸機関」(陸軍省主計課別班)を中心に描いた、見事な歴史資料の読み解きである。
有沢広巳、中山伊知郎、脇村義太郎など、日本を代表する経済学者たちによる日米の国力の客観的な比較と分析は明瞭であり、陸軍もそれを正確に「認識」していた。
にもかかわらず、石油や鉄のスクラップの禁輸など、米国の日本への経済制裁に対して、「2〜3年後には確実に石油が無くなる」という「『事実』(エビデンス)だけに関心が集中し、国際情勢が大きく変化して日本を取り巻く環境が好転するという『ヴィジョン』をもつことは誰もできなかった」と本書は読み解いているが、まさしくそのようであった。
近年の北岡伸一氏などの研究成果(『門戸開放政策と日本』)によれば、戦前の米国の内部にも、米国は日本に勝つだろう、しかしそのあとに登場するのは、もっと厄介なソ連であり中国である、しかも彼らは米国に助けられてもそれに感謝することもないといった見解(米国公使マクマリー・メモランダム)が存在していた。
また本書は、戦後日本が南北に分割される危険性を避けるだけの賢明さがあったことをさりげなく指摘しているが、共産主義の脅威はドイツの敗北を待てば明らかになったはずである(とはいえ「はずであった」は歴史ではない)。

日本にあったのはマスコミを含めた戦争への大量の御先棒担ぎと、ささやかな冷静な事実認識であり、最後まで存在しなかったのは、最終的な意思決定者だった。つまり個人が責任を取らない集団による無責任の支配であったのだ。
正確な情報が無謀な戦争につながった無残さの後、日本の経済学者たちが、戦後の再建のために『日本経済再建の基本問題』を発表したことを本書は紹介しているが、大野健一氏によれば、この経済政策は、その後、アセアン諸国への“政策アドバイス”として活かされるほど優れたものである。
焼却されたはずの資料(報告書)を探し当て、「正確な情報」が「不合理な意思決定」につながったプロセスを、実に明瞭な推論で説明する本書が、1977年生まれの著者によって書かれたことに評者は驚く。