国立情報学研究所教授で同社会共有知研究センター長の新井紀子氏が今年2月に上梓した『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(小社刊)は、すでに古典としての地位を確立している。古典とは、古いテキストという意味ではない。ある分野の知に関し、関係者が読まなくてはならない基本文献であり、しかもロングセラーになることが予想されるならば、近刊書であっても古典なのである。それだから筆者は、10回にわたって、本書を題材にして、AI(人工知能)万能論のわなにはまらない読解力の鍛え方について論じたのである。今回は、まとめとして本書が持つ歴史的意義について考えてみたい。

第一は、数学の基本である公理系に立ち返り、AIが神になる、AIが人類を滅ぼす、AIが自らの力で人間の知能を超える能力を持つシンギュラリティ(技術的特異点)は絶対に到来するという巷間に流布している言説がすべて誤りであると退けたことである。

AIの主体であるコンピュータは、量子コンピュータであろうと非ノイマン型であろうと、本質は計算機だ。計算機にできることは四則演算(正確には足し算と掛け算)だけだ。しかも、そこでは数学的言語を用いなくてはならないという制約条件がある。数学に可能なことは、論理と確率と統計だけだ。人間の知的営為のすべてをこれらに還元することはできない。それだから、シンギュラリティが来る可能性はないのである。

それにもかかわらず政府がシンギュラリティプログラムを支援しようとしている現状に対して、新井氏はユーモアを込めて「土星に土星人がいるかもしれない、ということを前提に国家の政策について検討するのはいかがなものか」と指摘する。新井氏が本書を刊行して以降、マスメディアにおけるシンギュラリティ待望論が急速にしぼんでいった。ある大手出版社の編集者が筆者に「シンギュラリティ到来論を唱える学者を講師に招いてセミナーを実施しようとしたのですが、参加希望者が少ないので中止しました。新井紀子先生の本の影響が及んでいます」と述べたが、AI万能論という人造宗教が脱構築されつつあることを筆者は歓迎する。有限が無限をとらえることはできないのである。