2011年5月27日、石勝(せきしょう)線を走行中の特急が脱線、トンネル内で炎上し、乗客・乗員79人が負傷した石勝線特急脱線炎上事故。2010年代に入ってのJR北海道の「負の連鎖」は、このときから始まった。いや、同社発足以来、抱えてきた宿痾が石勝線事故を機に露呈したといったほうがいいだろう。

この事故でJR北海道は11年6月、国土交通省から事業改善命令を受け、9月に改善措置報告書を提出するよう求められた。しかし7月、本社の時間外労働に対し、札幌中央労働基準監督署から「36協定」違反の是正勧告を受けたことを機に労使関係は、2カ月にわたって紛糾した。

そして国交省への報告書の提出期限を4日後に控えた9月12日、当時のJR北海道のトップ、中島尚俊社長が失踪。6日後に遺体が小樽市の海岸沖で発見された。中島社長の遺書は、会社幹部に宛てたものも含め十数通あったといわれ、社員に宛てた遺書にはこう書かれていた。

「『お客様の安全を最優先する』ということを常に考える社員になっていただきたい」