労働運動をめぐる路線対立は、JRの経営にも直結する(読売新聞/アフロ)

1987年の国鉄の分割民営化。国鉄解体を行った中曽根康弘内閣には「国鉄の膨大な借金問題と赤字体質の解消」という目標と同時に、もう1つの狙いがあった。

日本最大の労働組合「国労」(国鉄労働組合、最盛期で約50万人)を潰し、ひいては旧社会党の支持基盤だった「総評」(日本労働組合総評議会、約400万人)を解体することである。

69年からの「マル生運動」をきっかけに、国鉄当局と、国労や「動労」(国鉄動力車労働組合、約4万人)との対立は決定的なものとなった。70年代に入ると両組合は、「スト権スト」などのストライキを頻発させ、「順法闘争」(規則の順守によって、合法的にスト同様の効果を狙う闘争戦術)などの闘争を激化させた。

しかし、これら国民生活を巻き添えにした戦術は、社会の反発を招き、世論が「国鉄改革」を後押しする大きな要因になった。

国労の力をそぎ、分割民営化に向けての動きを加速させるため、井手正敬・元JR西日本会長、葛西敬之・JR東海名誉会長、松田昌士・元JR東日本会長ら「国鉄改革3人組」は、旧民社党系で労使協調路線を採っていた「鉄労」(鉄道労働組合)を取り込んだ。