病身で対峙した「2人の自分」

普段は凛とした表情の宏平が、子ども時代について問うと、少し伏し目がちにゆっくりと話しだした。「子どもの頃はぜんそくとの闘いでした。呼吸できない苦しみは悶絶するほどつらい。“死”はいつも身近に感じていましたね」。

精力的に事業を拡大してきた敏腕起業家の姿からは想像できない言葉だった。ぜんそくが収まったのはほんの数年前という。

「病弱だったので、親はどんなふうに育ってほしいというより、まずは元気でさえいてくれればいい、という思いだったはずです」

宏平は1973年、神奈川県で生まれた。大手通信会社に勤務する父、専業主婦の母、2歳下の妹との4人家族。最終的に副社長に就任した父は転勤が多く、宏平は幼稚園で2回、小学校で3回転校している。転校は、幼い宏平の心に大きな影響を及ぼした。

幼稚園時代に大阪に引っ越した際、先生の話す大阪弁を理解できず、指示どおり行動できなくてしかられた。小学校では体が弱く学校を休みがちなのに成績がよく、いじめの対象にもなったという。

だが、しだいに転校先の環境に合わせてキャラクターを設定するなど、“転校上手”になった。ドッジボールなどの運動も少しずつやるようになり、周囲も受け入れてくれた。そうした中でも、ぜんそくとの闘いは続いたという。

「発作が起きたときは家のトイレに行くにも決心が必要なほど。すぐそこに着くまで10分ほどかかった。苦しくて自己と向き合わざるをえない。だから誰よりも自分の体を知るようになりました。母には頻繁に小児病院に連れていかれましたが、病院で治療するより、僕は苦しくても運動して鍛えたほうがいいと思っていた」

余談だが、羽生結弦や錦織圭など、トップアスリートは少なからず小児ぜんそくを経験している。胸をかきむしるような苦しい経験が、彼らの努力の限界値を押し上げ、何としても結果を手繰り寄せる執念を生んだ。宏平にその話題を振ると深くうなずいた。

「すごく理解できます。小学校時代のいじめもそうだし、起業してからも艱難(かんなん)辛苦はありましたが、ぜんそくの苦しみに比べたらどうってことはない」