【今週の眼】三品和広 神戸大学大学院教授
みしな・かずひろ●1959年生まれ、愛知県出身。一橋大学商学部卒業。同大学大学院商学研究科修士課程修了。米ハーバード大学文理大学院博士課程修了。同大学ビジネススクール助教授、北陸先端科学技術大学院大学助教授などを経て現職。著書は『戦略不全の論理』など多数。(撮影:梅谷秀司)

観念的な流行語が企業を惑わすことは少なくないが、近年では「経営と執行の分離」の右に出るものはなかろう。この要請は、どのように受け止めればよいのであろうか。

経営と執行を分離せよと言われても、企業サイドには戸惑いを覚える理由がある。社内取締役が執行役員を兼務している現状では、どこまでが経営で、どこから先が執行か、よくわからない。執行もし、監督もするなど、どうしたらできるのか。教えてほしいというわけである。

もちろん、米国のように取締役会と執行部隊の接点をCEOに限定し、取締役と執行役員の兼務をなくしてしまえば、前段で述べた問題は解消する。しかしながら、そうすれば戸惑いは別の論点に移るだけである。はたして企業の中で最高の決裁権限を持つ意思決定機関を、社外の人間に委ねてよいものなのか。

米国は、時に人の生死を左右する裁判を、陪審員という素人に委ねてきた国である。そこには、多様な人々が一致する内容には必ず理があり、同じ命を託すなら、裁判官という個人より多様な陪審員の合議を選びたいという了解がある。ここで裁判官を社長、陪審員を社外取締役と読み替えれば、米国流ガバナンスの精神が見えてくる。

もちろん、そこには重要な前提がある。それは個々人が自立性と説明能力を備えていることである。合議に加わる人が自分の判断根拠を説明できなかったり、空気を読んで多数派についてしまったりするようでは、陪審員制度は根底から崩れてしまう。だからこそ、米国は基礎教育で自立性と説明能力を重んじるのである。