戦争の終結を早められれば、南方戦線での相次ぐ玉砕も防げた(近現代PL / アフロ)

帝国エリートは昭和の戦争をどう総括したか。この問題を解く重要な手掛かりとなるのが戦争調査会の議論である。1945年11月、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣は、戦争の過誤を繰り返さないように、日本人が自らの手で敗戦の原因と実相を追究する国家プロジェクトとして、戦争調査会を設置した。

戦争調査会の議論をリードしたのは首相の幣原である。帝国のエリート外交官出身の幣原は、政党内閣の外相として、協調外交を展開した。そのような経歴を持つ幣原が戦争の原因を軍部に求めたのは想像にかたくない。ところが幣原は戦争調査会において、軍人にもいい人がいた旨の発言をしている。満州事変の勃発(31年9月)当時、外相だった幣原には、南次郎陸相や金谷範三(かなやはんぞう)参謀総長と連携して事変の不拡大に努めた記憶があったからだろう。

軍部はいつでも好戦的とは限らなかった。幣原は言う。「軍部の人達が何時(いつ)も開戦論者であると思うのは私は間違いではないかと思います」。第1次世界大戦時、同盟を結んでいた英国が参戦を求めてきたにもかかわらず、陸軍は断った。幣原が想起したのはこのときのことだった。