維新を志士で語ってはいけません

みたに・ひろし●1950年生まれ。東大教授を経て跡見学園女子大教授。主著に『明治維新とナショナリズム』『維新史再考』など。(撮影:尾形文繁)

明治維新というと、長州・薩摩といった西国の雄藩や、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允に代表される特定の個人の活躍ばかりが注目されます。

しかしこの見方(=思考の枠組み)は、実は後世に形成され、定着したものです。具体的には、明治末から形成され、昭和前期に編集された『維新史』(文部省)の影響を色濃く受けています。それは戦後の史学にも継承されてしまいました。

三谷博氏は19世紀の日本・東アジア史が専門で、三十数年、明治維新研究を続けてきた。三谷氏は、「安政5(1858)年の政変」を維新史が大きく動き始めた起点と見る。一般的にはその直後の安政の大獄(58〜59年)が有名だが、なぜこの政変なのか。

安政5年には、米国との修好通商条約の締結と将軍の跡継ぎをめぐって、政治の地殻変動が起きました。一橋慶喜を擁立したい親藩の越前松平や外様の島津をはじめ数人の藩主やその家臣、民間の知識人たちが政治的な発言を始めたのです。幕府要人以外が公の場で政治に口を出すなどそれまでなかったことです。ただ強調しておきたいのは、政治体制の改革を求めた最初のグループは下級藩士ではなく、越前松平や島津といった大大名だった点です。