
現代日本の精神構造を形作る
評者 福山大学経済学部教授 中沢孝夫
過日、立教大学総長の吉岡知哉教授の最終講義で「思想と教育は啓蒙を伴う」、また「自分が真理を手にした、と思う人々の集団は社会活動をする」という言葉と出会った。深く同感した。むろん「迷惑」としかいえない思想・集団と「活動」がほとんどであるが。
しかし、内村鑑三から始まった独特のキリスト教信徒の集団である日本の無教会は、内村から直接影響を受けた、矢内原忠雄、塚本虎二、黒崎幸吉といった人々の聖書研究会が散会したあとは、他者への啓蒙も社会活動の広がりもなく、徐々に衰退しているかのようにみえる。
だが、あらためて本書を読んで、目に見える「教会」(建造物)はないが、内村鑑三が、直接・間接に接した人々に与えた影響の広さと深さは、まぎれもなく現代日本の精神構造を形作っていると思わざるを得ない。それは日本のリベラリズムの核心をさえ形成している。
いちいち氏名を記さないが、内村による東京・柏木の聖書研究会のメンバーとその周辺の人々。また、いわゆる教育勅語と御真影に敬礼しなかった「不敬事件」による内村の不遇時代にかかわった人々など、本書に登場する人物の多彩さにほとんど目眩(めまい)すら覚えるほどだ。

書名の「明治の光」とは徳富蘇峰の言葉であるが、著者は「内村鑑三の精神が放った強く広い磁力」は「近代日本の」「磁場」を形成していると思われる、と語っている。文学を含めてそのとおりであるとまさに同感する。
約3000人の固定読者に支えられた個人誌『聖書之研究』の売り上げと、各地での講演・集会での収入によって生きた内村は、たしかに著者の言う「近代日本の根源的批判者」であったが、同時に、内村なくして日本の民主主義はなかったと評者は思う。
詳しくは本書を読んで欲しい。本書に登場する人物の果たした役割の大きさは限りないものがある。
本書は、内村が「基督を商う者」の増加を望まなかったこと、宗教を学んだのはキリスト教外国人宣教師よりも日蓮、法然などであったことを、主著『代表的日本人』について触れながら書いていることを紹介している。あらためて確認してみると、『代表的日本人』は確かに日蓮で締めくくられている。
内村鑑三とその関係者及びその精神生活にもっとも遠い存在である評者ではあるが、本書に圧倒されている。