川喜田二郎氏が『発想法』で紹介している情報整理の技法は、電子的な情報機器が未発達な時代のものだ。それだからといって、この技法の基本的発想が古くなってしまったわけではない。川喜田氏の技法を、現在の情報機器の発展に合わせてアレンジし直す必要がある。

たとえば、裏にのりがついたメモ用紙を使ったほうがいいという川喜田氏の記述についてだ。少し長くなるが、まとめてしまうと技法がわからなくなってしまうので、あえてそのまま引用する。

〈さて私は、メモノートの一枚ずつの裏に糊のついているのが理想だといっておいた。そのわけは、たった一日のうちの観察メモだけでも、錯雑して前後不ぞろいにメモされることがあるからである。たとえば、植物の観察ノートをつけているうちに、土地の故老がやってきた。これは絶好の機会とばかりに、その土地の昔からのおもしろいしきたりをききだす。ところが昼飯時になって、その老人から「まあ一杯お茶をおあがり」と御馳走になって、メモノートつけは一時頓挫する。

さて昼食後、この老人は「ときに……」と別の話題をはさむ。それも有益な資料なので、こちらは一心にメモノートをつける。一段落のところで、老人は「ああ、そうそう……」といって、午前の話の続きをしゃべる。話し終わって、こちらはまた、朝方にみた植物観察のつづきを補充する。

さて、このような入り乱れたノートのメモは、晩に清書するときには、同類のものごと、すなわち植物は植物、老人の旧慣についての物語りは物語りと、まとめて清書ノートに記した方がよい。そこでどうするかといえば、メモノートを事柄の単元ごとにハサミで切ってしまう。切られた小さなラベル群を、観察事項のまとまりごとに、ワラ半紙にはりつけるのである。このとき、裏に糊がついていると、ひじょうに便利である。さもないと、きれいにラベルを並べたとたんに、一陣の風でラベルが散ったりする。こうすると、清書ノートはずいぶん書きよくなる。たった一日以内の観察事項だからとバカにすると、かえって神経を使い、その上、きれいにとりまとめ損なうことがある。セロハンテープでとめたり、いろいろしたが、けっきょく裏の糊づけには劣ることがわかった。このようにして使ったワラ半紙とメモのラベルは、用済み後は捨ててしまう。〉(川喜田二郎『発想法 改版』2016年、42~43ページ)