インターネット時代が幕を開けた1990年代初頭、大学の生産性は、爆発的な向上を迎えるタイミングがまさに訪れようとしているかに見えた。だが、そのタイミングが訪れることはなかった。それどころか、大学教育は氷河のようにゆっくりとしたペースでしか進化していない。

生産性向上において中心的な役割を果たしているのが教育である。そうした教育の役割を考えるなら、欧米の硬直化した経済を再び活性化するためには、大学教育をどう変革するかに焦点を合わせるべきではないだろうか。

たとえば、新入生のための微積分や経済学、米国史など聴講者数が500人を超す基礎科目について、米国じゅうの大学がそれぞれ別個に講義を行っている。しかし、これは理にかなっているのだろうか。たまにはすばらしい講義が行われることもある。だが、それが例外であることは米国の大学に通ったことがある人ならご存じだろう。

なぜ、世界トップクラスの教授や講師による質の高い録画講義を、さまざまな大学の学生が聴講できるようにしないのか。音楽やスポーツ、エンターテインメントの世界では、それが普通だ。教科書については、限られた数の著者が市場の大部分を占拠しつつもしのぎを削っている。録画講義もこれと同様に競争的な市場となりうる。