被災地を回って被災者に声をかける天皇、皇后の姿は国民になじみのものとなった(時事)

平成元年の1989年は歴史的にも数少ない「大乱の年」だった。国内ではリクルート事件が政界を揺るがし、夏の参院選で自民党が歴史的大敗を喫して、長く続いた自民党一党支配の終焉を予感させた。またバブル経済崩壊が始まった年で、以後、株価の下落が続いた。世界的には40年余り続いた米ソ冷戦が終焉した年でもあった。

戦争と敗戦、復興、高度経済成長と浮沈の激しかった昭和と異なり、平成は停滞と分断の時代だった。経済成長が止まり国民の所得格差が拡大していった。東京など大都市が栄えて、人口減少と高齢化に見舞われた地方は衰退した。「シルバー民主主義」という言葉が示すような世代間格差も生まれた。

天皇の問いかけに真摯な議論なく

時代の変化は天皇のあり方にも反映された。昭和時代、国民にとって天皇はどちらかといえば遠い存在であった。平成になると天皇は意識的に国民との距離を縮めた。東日本大震災のような大きな災害が起きると、小まめに被災地に足を運び住民に接した。福祉の現場にもしばしば顔を出し弱者に寄り添う姿勢を見せた。さらに高齢にもかかわらずサイパンやパラオなど太平洋戦争の激戦地を繰り返し訪問した。国民の統合と慰霊のための「行動する天皇像」を追求してきたのである。