さかいや・たいち●1960年通商産業省(現経済産業省)入省。日本万国博覧会を企画。78年退官、作家として予測小説の分野を開拓。98〜2000年経済企画庁長官。(撮影:今井康一)

朝日新聞で『平成三十年』の連載を終えた直後、国会で指名されたばかりの小渕恵三首相から経済企画庁長官として入閣してほしいとの電話を受けた。「召集令状だと思って受けてくれ」と小渕さん。平成不況のただ中の1998年7月。有無を言わせぬ要請により、私は日本の金融再生と景気振興の改革に臨むことになった。

金融系列の解消は、当時私が先導した、印象深い改革だ。85年ごろから金融系列の弊害が目立つようになっていた。

たとえば石油開発会社は、銀行の数だけある。インドネシアで石油を掘るとなったら、三井系、三菱系、住友系、富士系がそれぞれ進出してくる。それでどこも規模が小さく、国際競争に立ち向かえない。商社も建設会社も同じでみんな銀行の数だけあった。これでは効率が悪すぎる。合併させるなどで、金融系列にとらわれないようにしないといけない。

不良債権を大量に抱えた銀行各社が国に融資を求めてきたタイミングで、私は個別に次のような話をしていった。「これからは融資対象を系列企業に限らんほうがいい」「株式の持ち合いは緩めましょう」。

当事者たちの一部はもうやめたいなという気があったらしく、誰かに言い出してほしい雰囲気もあった。とはいえ結構、苦しく言い難い話だ。金融系列がなくなった場合、銀行の天下りポストもなくなってしまう。実はそれが意外と問題の核心でもあった。

それでも結局は、「もうみなさん一斉にやめましょう」と言う私に対し、「いい機会だ」という反応で大旨がまとまった。