今回から、川喜田二郎氏(1920~2009年)の『発想法』(中公新書、1967年)を手掛かりにして、同氏の表現法について考えてみたいと思う。この本を取り上げる理由は二つある。

第一は、表現法は発想法と不可分一体の関係にあるからだ。優れた発想がなくては、よい表現はできない。

第二は、川喜田氏自身が卓越した表現力を持っているからだ。優れた発想があっても、表現が稚拙ならば、その発想は他者に伝わらない。『発想法』という作品自体が表現について学ぶ優れたテキストだからだ。

川喜田二郎氏は、1920年5月11日に三重県で生まれた。旧制第三高等学校(京都大学の前身)在学中に、独自の進化論を唱えた今西錦司氏らの下で探検にかかわる。53年にヒマラヤのマナスル登山隊への参加をきっかけに現地調査に頻繁に出かけ、『鳥葬の国』のようなノンフィクション、『素朴と文明』などの文明論で論壇の注目を集めた。東京工業大学、筑波大学などで教鞭を執った。フィールドワークで得た情報を、カードを利用してまとめる独自の整理術を基にして、自らのイニシャルを付した「KJ法」という発想法を提唱した。「KJ法」については、この連載で詳しく説明する。09年7月8日に89歳で死去した。

川喜田氏が67年に『発想法』を上梓した時点では、発想の技法が可能であるという見方を取る人は少なかった。川喜田氏は自らの経験を振り返ってみると、そこに発想法があることに気づき、それを表現してみることにした。その経緯についてはこう記されている。