さかいや・たいち●1960年通商産業省(現経済産業省)入省。日本万国博覧会を企画。78年退官、作家として予測小説の分野を開拓。98〜2000年経済企画庁長官。(撮影:今井康一)

この30年、私が訴えてきた政策に、東京一極集中の緩和がある。官僚に規格化され、東京一極集中が進んだ社会を打破しなければならない、と考えるからだ。

米国もドイツも中国も、元気な国はどこも特定の都市に一極集中していない。楽しく活力のある国には、多様性と意外性がある。新しい産業や発明は、多様な街と人が切磋琢磨し合うことで、生まれてくるものだ。

同じ思いの人は政財界にも多く、特に竹下登さんは首相時代に、地方創生、ふるさと創生を熱心に主張し、東京一極集中に反対した。首都機能移転の審議会が作られて、私も委員となった。福島がいいか、美濃がいいか、滋賀や三重がいいか、と議論をしたが、最終的に官僚らに潰されてしまった。

1998年の首都機能移転に関する政府の会合で、委員であった元国土庁次官の下河辺淳さんが、「首都機能を移転する地震のない場所は福島県以外にない」と主張し、新聞などで大きく報じられた。私は具体的な場所を言うと潰れる、機能と形状が先決で、それを詰めれば移転場所はおのずと見えてくる、と言い続けていた。案の定、下河辺発言が伝わると、東京以西では首都機能移転への関心は急速にしぼんでしまった。下河辺さんはおそらく、こう言えば構想が潰れるとわかっていたのだろう。ご存命だったら、福島の震災をどう受け止めているか伺いたいものだ。