11月9日の米国ニューヨーク。スポーツやエンターテインメントの聖地、マディソンスクエアガーデンで、カシオ計算機の主催する盛大な式典が開かれた。同社の顔ともいえる腕時計「G-SHOCK(Gショック)」が2018年に発売35周年を迎えることを祝う記念イベントだ。

この日、会場を訪れたのは、事前に招待された流通関係者やメディア、ファンなど約3000人。日本から樫尾和宏社長も駆け付けたほか、プロスノーボーダーのルイ・ヴィトー氏ら数多くの有名ゲストが壇上に登場。最後には全米で人気のラッパー集団、A$AP(エイサップ)がライブを行い、会場は熱狂の渦に包まれた。

Gショックの販売が好調だ。昨年度は世界で過去最高の850万本を出荷。今17年度は900万本に迫る勢いで、8月には累計出荷1億本を突破した。業績への貢献度も大きい。カシオの16年度連結売上高3212億円の52%を占める時計事業において、Gショック(女性用の「BABY-G」を含む)は売上高で約半分、利益では半分以上を稼ぎ出す。

「落としても壊れない丈夫な時計」──。Gショックは、若手技術者が出した短い企画書をきっかけに開発がスタートした。200本以上もの試作品を経て、内部の精密モジュールを点で支えて衝撃を和らげる独自の空中構造を開発。2年後の1983年に初代モデルの発売にこぎ着けた。

当初、日本ではまったく売れず、先行して普及したのは米国だった。その頑丈さから、現地のアウトドア愛好家や消防士などが装着するようになり、やがて西海岸のストリートファッションのマストアイテムに。そうした流行が日本の若者たちにも広がり、97年度には日米を中心に年間出荷が600万本にまで激増した。

が、山高ければ谷深し。大ブームは潮が引くように沈静化。01年度の出荷数量はピークの3分の1にまで激減し、大量の在庫を抱えたカシオは104億円の営業赤字に陥った。そのどん底から、同社はいかにしてGショックをよみがえらせたのか──。

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