「私の命は、日本のがん治療の研究に役立ちましたか」

「はい。たいへん役に立ちました」

「それは、よかった」

これが知人の父親の最期の言葉だった。今から20年前、まだがんの告知は本人にせず、親族にしか行わないのが当たり前の時代だった。しかし、本人は自分ががんということを知っていたし、死期も悟っていたという。父親として時に厳しく時に優しく子供と接し、職業人としても親から継いだ会社が背負っていた多額の借金を返済し、見事に再建した苦労人であった。

だが、私の知人は「父親をどこか軽蔑していた」と話していた。それは、兵役を逃れるために何かをしたからなのだ。本人はその内容について決して語ることがなかったそうだが、「あんな戦争に巻き込まれて息子(知人の父)を犬死にさせるわけにはいかないので〇〇させた……」と、祖母がしばしば話していたそうだ。

知人はこう言っていた。「父の人生は医者からの『たいへん役に立ちました』の一言で救われたのだと思う。友人が10代で戦死していく中、自分だけが汚いことをして生き永らえた。だから戦後、どんな生き方をしても、その後ろめたさを払拭することができなかった。しかし、最後にがんを患い、自分の身体を研究に使ってもらえたことで、公への貢献がようやく体感できたのでしょう」。

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