表現は文化に拘束される。このことを自覚していないと、上手な表現はできない。一般論として自分の姿は自分では見えないものであるが、日本人の表現についても同じことが言える。

渡部昇一氏の表現論における大きな業績は、日本人の表現の文化拘束性を明らかにしたことだ。渡部氏は、言葉の短縮化に日本語の特徴があると指摘する。〈表現に関して言えば、言葉の短縮化、つまり「多弁を要せず」ということです。これは情を表現する詩を例にとっても、短歌の三十一文字よりは、俳句の十七文字と、詩の形が短いほうへと進んでいったことにも表われています。これは世界的に見ても例がないといっていいでしょう。/そしてこの短詩形志向は、伝達不要、論理構成不要という伝統とも相まって、日本の和歌や俳句は何よりも「理」を嫌うようになったのです。つまり理屈が通っていることや、論理的構成がはっきりしていることが好きになれなかったり、逆に軽蔑してしまうといった志向が一般化していったと言えるのです。〉(渡部昇一『知的人生のための考え方』PHP新書、2017年、172ページ)