採血や検尿など、医療とかかわりが深く、お堅いイメージのある臨床検査業界で、ひときわ異彩を放つ経営者がいる。臨床検査薬大手の富士レビオと、受託臨床検査首位のエスアールエルなどを傘下に置く、みらかホールディングス社長の竹内成和(しげかず)、64歳である。音楽・アニメなどエンターテインメントの世界で名を馳せた異色のキャリアを持つトップが、昨年10月から、みらかを大きく変えようと采配を振っている。

竹内は1976年に大学を卒業後、当時のCBS・ソニーグループ(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ入社した。入社面接で「好きな音楽のジャンルは何か」と聞かれて「カンツォーネ」と答えたら、面接官は「ウチの会社とはまったく関係ないね」。縁がなかったと覚悟したが、無事に合格。「勢いがよかっただけ」と竹内は謙遜する。

強く記憶に残っているのが、ソニー元会長である故大賀典雄との思い出だ。竹内が30歳代前半で販売推進課長を務めていたころ、大賀はCBS・ソニーグループ会長でまさに「雲の上の存在」だった。

そのころはCDに押されてアナログレコードが売れなくなった時代。声楽家としても知られた大賀も自らレコードを出していたが、大賀歌唱によるフォーレの「レクイエム」も廃盤候補だったという。

それでも周囲の忖度(そんたく)があったのか、大賀のレコードだけは手つかずのまま。そのとき、竹内は大胆な決断に踏み切った。それ以来、「亡くなる直前まで“俺のレコードをおまえは廃盤にした”と言われ続けた(笑)」。

経営者として頭角を現したのは、2002年にグループ会社でアニメ制作を手掛けるエスエムイー・ビジュアルワークス(現アニプレックス)社長に就いてからだ。就任時の同社は鳴かず飛ばずの状態で赤字が続いていた。

竹内が貫いたのは現場を信じる姿勢。会議の目的や枠組みは決めるが、細かいことには口を挟まず、最終的な決定責任を負うだけ。「中途半端な知識しかないにもかかわらず、わかったかのように口出しするのがいちばんまずい」。

竹内がトップのときに手掛けた『鋼の錬金術師』は、まさに現場の思いが結実した作品だ。売り上げの半分を超える巨額の制作費がかかったが、大ヒットを記録。それを機に、新たな作品が次々と持ち込まれる好循環が生まれた。

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