筆者は生まれも育ちも洛中であり、いまは洛北のはずれに住んでいる。そんな京都人からすれば、京都が観光都市だといわれてもピンとこなかった。しかし他の地方で暮らした後、あらためて京都という町で奉職してみると、なるほどたいへんな観光都市なのだと実感している。

もちろんそれには、四十年という時間の経過もあって、同じ様相ではありえない。昔の主流は学生の修学旅行、いまは海外からの観光旅行だろうか。グローバル化の影響なのか、とりわけ近年の外国人観光客急増には、目を瞠(みは)るものがある。

とにかく通勤の市バスがたいへんである。老若男女こきまぜて、とにかく外国人の乗客がおびただしい。バックパック姿でキャリーバッグを抱え、必死の形相で次々に乗り込んでくる。時には、さながら武装して戦場に向かう多国籍軍兵士の輸送車輌にもみえかねない。

中国人の海外ラッシュ

しかも多言語である。飛び交う言語がわからない。そんな場合があるものの、多くは聞き慣れた音声で、あまり違和感を覚えないのは、圧倒的多数が中国人だからである。

日本人の海外旅行は、今も盛んではあろう。しかし筆者の学生時代・三十年前あたりの熱気と比べるとずいぶん下火になったもので、かつては我先に海外へくり出したものである。おそらくそうしたプロセスをいま、富裕になった中国人がくりかえしているのだともみえる。もっとも、日中が同じだとみてよいかは、自ずから別の問題かもしれない。

9月の末にメディアが一斉に報道したのは、10月1日、中華人民共和国の建国記念日「国慶節」、そして8連休の休暇をもらえる大陸の「人民」たちの出国ラッシュである。もちろん海外旅行にくり出すためで、いまや中国人訪日客が日本の景気も左右するから関心は高い。

小稿が掲載されるころには連休も終わっていようから、旧聞に属する話題ではある。しかしそれは確かに、現代東アジアの情勢を映し出している。