西郷隆盛の拙著が2冊出た。1冊は旧作の再版であり1冊は新作だ。同じ人物を扱って複数作出版したのは、織田信長、西郷隆盛、坂本龍馬、新撰組などで、いずれも5冊から6冊書いている。

なぜそんなことをするかといえば、歴史上の人物は円筒形のようなもので、書き手である私の加齢、経験、社会観の変化など立ち位置の移動によって、人物に対する見方がかなり変わってくるからだ。つまり、いくら書いてもその人物のすべてを書き尽くした、とはいえないからだ。当欄で何度か紹介したが、龍馬が西郷に初めて会ったときの印象を、師の勝海舟にこう語った。「えたいの知れない人物です。不気味な太鼓のようなもので、大きくたたけば大きく響き、小さくたたけば小さく響く」。

私が一人の人物を何度も書くのは、龍馬の西郷観のように、えたいの知れない相手の、そのえたいを完全につかみきっていないことが一つ。そのため何度でも挑戦するし、これからも体当たりするだろう。もう一つの理由は、どんなに史料を探求しても、組み立てた人物像は、つまるところ、私自身を書いているということだからだ。信長も龍馬も西郷も、書き手の考えから抜け出して、自分のほうから自分像を突き付けるようなことはしない。

そうなると、加齢、経験、社会観の変化などによって、その人物への期待、評価も変わり、その変化を裏付ける新史料の探索などの追加作業も起こってくる。結果、若気の至りで早とちりによる決め付けなどの過ちにも気づく。2冊目以降はその修正も兼ねている。

「ITにAI、新幹線もリニアモーターカーが実現し、空は航空機に加え空飛ぶ車の開発が始まるという。そんな社会で、カゴや馬しか知らない世に生きた人間の、どこが参考になるのか」という問いかけをよく受ける。つまり、現代における歴史の効用の有無だ。