
経営戦略を研究していると、否が応でも創業経営者に対する敬意が芽生えてくる。以下では、その理由と含意を掘り下げてみたい。そこにガバナンス問題の本質が潜んでいるからである。
私が創業経営者と言うときは、なにも松下幸之助や本田宗一郎、小倉昌男や飯田亮、稲盛和夫や永守重信、柳井正や孫正義といった有名人を念頭に置いているのではない。思わずほれ込んでしまうような戦略に出合って調べてみると、その陰に目立たない創業経営者、もしくは彼らの跡を継いだ実質上の創業経営者が控えている確率が異様に高いのである。彼らこそ、私のヒーローにほかならない。
逆に、“操業経営者”(いわゆるサラリーマン経営者)は拙著『戦略暴走』に所狭しと登場する。ここ10年ほど電機業界の凋落が顕在化しているが、その陰にいるのも例外なく操業経営者である。悪いことに、2004年に拙著『戦略不全の論理』で指摘した問題が最悪の結果につながってしまったと言ってもよい。
創業経営者と操業経営者で何が違うのか。最も違うのは、一生涯をかけて築く作品として自社に接するか否かである。創業経営者は寝ても覚めても自社のことだけを考えており、作品に打ち込む芸術家を想起させる。それに対して、任期の限られた操業経営者は概して会食やゴルフに費やす時間を惜しまない。そこに芸術家を見ることは難しい。
こう言ってしまうと、身もふたもないことは承知している。職業人生の最後の数年間だけ脚光を浴びる操業経営者はどこまで行っても操業経営者で、創業経営者にはなりようがない。しかしながら、世の中には絶えずバラツキが存在する。操業経営者の中にも創業経営者と思わず見紛う人がいて、彼らがヒントをくれるのである。