表現法について、最も重要なのは反復可能性だ。特別な才能に恵まれた人の勉強法は、一般人には反復不可能なので、技法を伝授することができない。

標準的な努力をすることができ、高校レベルの知識があるならば、誰でも習得できるような技法が表現においても重要だ。このような技法を伝える達人が何人かいる。その1人が、今年4月17日に86歳で亡くなった上智大学名誉教授の渡部昇一氏だ。渡部氏は、歴史修正主義的な立場を取る保守派の論客として有名だった。それゆえにリベラル派の論壇人や学者は、渡部氏の政治的傾向に忌避反応を示し、同氏の著作を読まない。それだから渡部氏が傑出した知識人であったことに気づかない。

こういう姿勢はフェアでないし、政治的視点から渡部氏を切り捨てると、同氏が持っていた優れた知的技法が継承できなくなる。渡部氏の著作は100冊を超えるが、表現法の観点からは、『知的人生のための考え方──わたしの人生観・歴史観』(PHP新書、2017年)が役に立つ。

表現法を含む知の技法の基盤を渡部氏が構築したのが、上智大学での教育だ。〈私は戦後、まだ学生数が五百人もいなかった小さな私立大学に入った。明治以来、圧倒的に官立大学が優勢な国で、これという有力な人物をまだ世の中に一人も出していないキリシタンの学校であるから、世間相場の出世ルートとは一切関係がなかった。そこで考えることは、「これからの人生をどうやって生きるべきか」ということだけであった。〉(4ページ)。

ただし、渡部氏が大学で学んだのはいわゆる人生哲学ではない。国際基準で一級の文科系と理科系の基礎教育だ。〈幸いなことに、そこには素晴らしい先生方がたくさんおられた。ケンブリッジの英文科の初代教授クイラ・クーチ先生の愛弟子だった学識深奥なドイツ人のロゲン先生。輝くような西欧的知性を示すロゲンドルフ先生。とにかく英詩は暗記すべしと毎週四時間、英詩をわれわれに暗記させたライエル先生(この人の祖父はダーウィンに影響を与えた地質学者チャールズ・ライエル卿)。神道系の宗派の幹部であり、終戦直後の日本の大学でただ一人、『古事記』を講読された佐藤幹二先生。化学の時間に一年間エントロピーだけを教えられた柴田栄一先生。近代生物学の発展を明確に教えられた野沢登先生。ハイゼンベルクやアインシュタインの数式まで分かった気にさせてくださった物理学の山室宗忠先生。哲学概論の名の下に、ギリシャからカントまでの認識論の批判を通じて、ネオ・トミズムの認識論こそ信頼すべき哲学であることを納得させてくださったボッシュ先生。(中略)英文科の学生相手に朱子集注で『孟子』を読み、さらには『書経』まで講読された飯田伝一先生。大学一年生のクラスで、ブランデンが日本の大学の教員などのために行った講義録をテキストに用いられた刈田元司先生。このようなのが大学の一、二年の教養課程の授業であった。〉(4~5ページ)