中東での「IS(イスラム国)」の軍事的な後退が続いている。

7月上旬、ISが支配していたイラク第2の都市モスルが、イラク政府軍などによって3年ぶりに解放された。シリアでもISは追い詰められつつある。ISが首都と称するラッカには、同じく7月上旬にクルド人を主体とする部隊が突入した。陥落は時間の問題とみられている。イラクでもシリアでもIS後の風景が視野に入ってきた。

だが、IS掃討が実現しても、混乱が収拾する気配はない。イラクの今後には、三つの難題が待ち受ける。第一に北部のクルド人の支配地域と中央政府の支配地域の線引きの問題である。第二にイスラム教スンニー派の取り扱いである。第三にクルド人の分離独立傾向である。

IS敗退後に再燃するイラク北部での対立

イラクでのISの敗退は明らかだ。勝者はもちろんイラク中央政府だ。しかし、それだけではない。北部からISを攻撃したクルド人の力も無視できない。現在のイラク北部はクルディスターン自治政府の支配下にある。クルド人の政府である。この自治政府と中央政府の間には、つねに対立がある。それは、クルド人の自治地域と中央政府の支配地域の線引きに関してである。アラブ人とクルド人の混住地域が、どちらの支配下に入るべきかとの問題である。

ISの台頭によって両者の間にクッションができていた。ISの支配地域が両者を隔てたからである。したがってISの消滅は、そのクッションの除去を意味する。その結果、クルド人の自治政府とイラクの中央政府が直接に対峙する状況が戻ってきた。

イラクでは、フセイン大統領(当時)の体制が2003年のイラク戦争で崩壊した。その後、米軍がフセイン時代の軍隊を解体し、イラク中央政府軍を新たに育成しようとしてきた。そして米軍が11年末に撤退すると、イラクのマレキ首相(当時)がイラク軍の全権を掌握した。この人物の政権運営は、わかりやすかった。イラクの人口の6割を占めるイスラム教シーア派のアラブ人を支持基盤とする人物だけに、シーア派の利益を政治に忠実に反映させた。フセイン時代まで政権の中枢を担っていたスンニー派は権力から排除された。軍の上層部もシーア派に独占された。出世の条件は、能力よりもマレキ首相への忠誠心であった。そのため無能な将軍たちがイラク軍を指揮する結果となった。2014年にISが台頭すると、イラク中央政府軍は一夜にして崩壊した。