中国といえば、皇帝の国である。秦の始皇帝が即位してから二千年以上、ずっと皇帝制が続いてきた。皇帝がいなくなってまだ百年あまり、長い歴史からすれば、わずかな期間にすぎない。英語ではImperial Chinaといって、その時代を区別している。

その間「皇帝」はもちろん、ずっと実在した。しかし単に、いた、だけではない。皇帝が即位、在位するにはさまざまな条件がある。その条件に違(たが)うと、たとえ実在していても真の皇帝だとは認定されない。逆にいえば、皇帝はその存在の正しさを絶えず立証し続けなくてはならなかった。

天子の君臨という統治理論

中国の統治理論を一言でまとめると、天子の君臨である。「天下」という人間の暮らす世界があり、天から命ぜられて、そこに君臨するのが、天子にほかならない。天が一つである以上、その命令も唯一無二、命の下る天子も当然、一人でなくてはならない。その天子とは、始皇帝以後、とりもなおさず皇帝となった。

それなら中国では、史上ずっと一人の皇帝だったのか。その答えはNOでもあり、YESでもある。たしかに皇帝は、同時に何人も実在した。しかしほんとうの皇帝は、いつも一人しかいない。理論上、そうとしかみることができないのである。これを当時のことばで「正統」といい、現代語では「歴史認識」と言い換えてもよい。

『三国志』に「先主伝」という文章がある。英雄・劉備の伝記であり、かれは蜀を建国、「皇帝」に即位した人物、小説なら必ず主人公の地位を占めてきた。しかし史書で、かれが皇帝とよばれることはない。

一つであるべき「天下」が「三国」に分かれ、一人であるべき皇帝が三人いた時代なのである。ほんとうの皇帝・天子は一人しかいないはずで、ほかはニセ者である。劉備はそこに分類された。別に『三国志』の劉備に限らない。「正統」つまりほんものを「帝」と書き、「正統」ではないニセ者を「主」と書くのが通例である。史書を繙(ひもと)くと、それこそ枚挙に暇(いとま)がない。

こうした統治理論は、二〇世紀に入るまでは儒教思想に準拠していた。古ければ古いほどよい、かわらないほどよいと提唱するドグマだったから、安心して既往を踏襲できたのである。