筆者は、作家の中では多作のほうだと思う。現在、月平均90の締め切りを抱え、月産の原稿量は400字換算で1200枚程度だ。それ以外に単行本の執筆がある。これが筆者の能力の限界で、これ以上の量の仕事を引き受けることはできない。

外務省時代に短時間で大量に書く仕事をしたので、その経験が作家になってから生きている。東京の外務省国際情報局分析第一課で主任分析官を務めていたときには、平均して月に2回はモスクワへ、半年に1回はテルアビブへ出張した。そういうときは1日に5〜6人の政治家やインテリジェンス関係者、学者と会う。テルアビブの場合は何でも指示できるような後輩が大使館にいなかったので、公電は自分でワープロのキーボードをたたいて書いた。仕事が終わって、夜10時過ぎにホテルに戻ってから公電を起案するので、半徹夜(睡眠時間2時間程度)をしても400字で30枚くらいの公電しか書けない。

これに対してモスクワでは、筆者の考えとロシア事情、北方領土交渉の経緯をよく理解した後輩がいたので、一部の公電は筆者が内容を口述して後輩に書かせた。この後輩はタイピングが速かったので、二人で100枚の公電を起案することも可能だった。こういう作業ができるのは、筆者が話すことの内容を完全に理解しているアシスタントがいるときに限られる。

作家になってからはインタビューや対談を受けることがあるが、担当するライターと編集者がテーマに通暁していないときは、ひどい草稿が上がってくる。筆者の考えていないことが適宜作文されて書き加えられているし、重要な事柄が抜け落ちている。こういう草稿だと、手を入れて完成稿にするよりも最初から自分で書いたほうが早いし、ストレスも少ない。ひどい原稿の加除修正をしていると、外交官時代に同行した後輩の能力が基準に達していなかったために、筆者に提出された公電案を徹底的に直し、徹夜したときのことを思い出す。外交官時代、同行する後輩が頼りないときは、「公電は僕が書くから、君はもうこの仕事については忘れていいよ」と言って、仕事から解放した。これで「仕事が減ってラッキー」と思うような後輩は、いつまで経っても能力が向上しなかった。

これに対して、「佐藤主任分析官は、俺(私)が基準に達していないと見ているな。確かに今はそうかもしれない。しかし、俺(私)も必死になって頑張る。そして、そう遠くない将来に佐藤なんか追い抜いてみせる」という闘志を示す後輩もいた。そういう後輩は、力がとてもついた。筆者の経験では、「仕事がなくてラッキー」と思うのは男性が多く、ガッツを持って向かってくるのは女性が多かった。