冥加に余る講演をした(冥加に尽きる、と書こうとして辞典を引いたら、尽きるは「神仏に見放されること」とあるので、認識を改めた)。青森県つがる市からの依頼で、テーマは「太宰治の言葉」。その後地元の太宰研究会会長の木下巽先生と、地元大学客員教授の三村三千代先生との鼎談。三村先生は現青森県知事の奥様。

こんな仕事はめったに来ません。前に書いたように、私は七十年来のダザイスト。信条は“起承転々へ結なしでストップがかかるまで、転がって生き抜くつもり”。それを支えるのが太宰の言葉だ。

三つの要素がある。(1)彼は何よりも人を喜ばせるのが好きであった、(2)微笑もて正義をなせ、(3)「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽(ひ)が当るようです」。

(3)はいつの頃からか「しかし」を「ただ」に、「(陽が)当るようです」を「当たるんです」と、私なりに消化し太宰流に言い換えている。10月19日に満90歳になる私が、絶望したりそこからはい上がったり、勤めていた頃、非情な人事を行って、夜七転八倒の自己嫌悪に身もだえをしたときにも、活力を再生してくれた言葉だ。

(1)は黒澤明監督の映画『生きる』に出ていたお茶くみのアルバイト・小田切とよの信条にリンクさせている。住民のために生きていない、職場の“死んでいる”職員に愛想を尽かして、とよさんは退職して町工場へ行く。そこでウサギの人形を作る。作るたびに彼女は「また今日も、日本のどこかの赤ちゃんと仲良くなっちゃった」と、山口百恵さんの「いい日旅立ち」みたいな気分になる。しかしこの感覚はすべての労働の目的になりうるし、私自身もそういう気持ちで働いてきた(今も)。