石川県の地方銀行から七尾支店創業130周年記念の講演を頼まれた。演題は「歴史に見る地方自治」だ。真摯な記念事業にこっちも身を引き締める。会場は和倉温泉なので、まず“ご当地ソング”の仕込みから。「和倉温泉はかつて眼前の浦(七尾湾)の海中から湯が湧いていた。そこで湧浦(わくうら)が和倉になった」。

潮の引くのを待ってドッと押し寄せる湯治客。これに目をつけた藩の役所が温泉宿を廃止させて、湯をおけ1杯いくらの専売制にした。怒った庶民が温泉宿復活の要求運動をし、藩は屈した。立派な市民運動の勝利。CI(地域の特性)を生かしたエピソードだ。しかも自治。これで話の半分は構成できる。話の枕のつもりで調べたことが、本筋の大半を占めうるという手応えを得て、うれしさにゾクリとした。こういう感触は歴史を愛する私にとって、言いようのない喜びだ。

話の骨子を得たので、今度はそれに付着させる肉と皮の探索を始める。古代の七尾は中国や朝鮮との往来船の基地。国内でも蝦夷などとの交流が盛ん。アイヌや朝鮮人の遺跡もある。つまり一地域から汎国内、さらに国際交流を目指すグローカリズム(グローバリズムとローカルの合成語)の実行地域。これらの実績は、まさに与えられたテーマの「歴史に見る地方自治」の実行にほかならない。

しかしその検証だけでは私自身が満足しない。そのCIを当時の住民がどう活用し、地方の上部権力がどう扱ったかまで話を広げなければ、私の責任は果たせない。

戦国時代前まで能登半島は、足利幕府任命の畠山氏が守護として治めていた。補佐は長(ちょう)、遊佐(ゆさ)、温井(ぬくい)など地域豪族だ。上杉謙信と織田信長が進出してくる。どっちにつくかで豪族が二分される。守護は殺される。謙信派が勝利し、信長派の長一族は連竜(つらたつ)の脱出を除いて絶滅。「越山併せ得たり能州の景」という謙信の詩はこのときのもの。その謙信が死んで、信長の代わりに治者になったのが前田利家。七尾の小丸山城を拠点にした。