昨日乗ったタクシーのドライバーさんの名が常世(とこよ)さん。驚いた。「本名?」「そうです」「ご先祖は茨城県のかた?」「秋田県です」「お名前の意味知ってます?」「この世の極楽だって祖父が言ってました」「そのとおりです」。私が常世と聞いて茨城県を連想したのには訳がある。

大化の改新後、日本の国土は壱岐・対馬を入れて68カ国に分類された。中央政府はそれぞれの国に人口・特性・産物などを書き出させた。古代の国勢調査だ。現在残っている完全本は『出雲国風土記』だけだそうだ。欠落や省略はあるが、これに次ぐのが常陸、播磨、肥前、豊後の4風土記だという。

その『常陸国風土記』の最初のほうに、「日本で“常世”といわれているのは常陸国だ」と書いてある。現世におけるユートピア宣言を堂々と行っている。この常世を鎌倉時代から関ヶ原の合戦まで領有していたのが佐竹氏だった。常陸太田を拠点としていた。しかし関ヶ原のときに当主の態度があいまいだったので、徳川家康は不快感を覚え、罰として佐竹氏を秋田の地に移動させた。収入も3分の1に減じた。

一気に結論づければ、常陸国で常世気分を満喫していた佐竹氏の供をした家臣団らの中で、常世を姓とする者がいても不思議ではない。だから私が最初にドライバー氏に「ご出身は茨城県?」と聞いたのは、決して根拠のないことではない。

「東海の海上に不老不死の草の生えた蓬莱(ほうらい)山のある島がある。探して朕のためにその草を持ってこい」と、侍臣・徐福に命じたのが秦の始皇帝だ。徐福は東海の島を日本と想定し、九州に上陸してあちこち探した。佐賀県の金立(きんりゅう)山麓に彼の遺跡が残り、墓まである(彼の墓は他地方にもある)。墓があるということは死んだことになるから、不老不死の草はついに発見できなかったのだ。