「サムスンと言えば韓国、韓国と言えばサムスン」。李健煕会長(左)は2代目経営者として危機を乗り越えた(ロイター/アフロ)

IMF危機を乗り切り、韓国を代表する世界企業になったサムスン。現在病床に伏す李健煕(イゴンヒ)会長は、1938年に三星商会を設立した故・李秉チョル(イビョンチョル)会長の三男だ。90年代初頭からグループをリードし、97年当時は財界2位だった。だが、首位の現代(ヒュンダイ)、3位のLGと比べると、半導体など電子部品が主力事業だったサムスンは、韓国国民への浸透度はいま一つだった。

2000年以降、サムスンが世界企業の座へ躍り出たのは、李会長の経営判断とそれを企画・組織する秘書室(当時)、それを実行する専門経営者の「トロイカ」体制がうまく回ったためだ。同時に、「妻と子ども以外、すべてを変えよ」「10年後のサムスンが生き残れるかどうかを考えると、夜中に脂汗が出てくる」と発言するなど、強烈な危機意識を土台にしたリスク経営を行ったことも大きい。「1人の天才が10万人を食わせる」「経営陣は優秀な人材を探すことがすべて」と人材確保と信賞必罰を徹底することに注力した。

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