日米とも政治の主要テーマに、個人としての大統領や首相の行いが罪に問われるか、問われないまでも倫理的に如何なものかということが問題になっている。言うまでもなく「ロシアゲート」事件と「加計学園」事件のことである。日米当事者の対応は大きく異なっている。

FBIのコミー前長官は6月8日上院情報委員会の公聴会で求めに応じて出席し、いわゆる「ロシアゲート」について証言し、2月にトランプ大統領から「捜査の中止を指示された」と語った。さらに3月30日には電話で、「トランプ本人は捜査対象ではないと公表してくれ」と依頼され、4月にも再び電話で確認された。以上がトランプ大統領の疑惑のすべてである。大統領が司法案件に関与・妨害したとの疑いである。

一方、日本のケースは、どうだろうか。加計学園はもちろん司法案件ではない。そこで問われているのは、行政判断に首相の個人的な利害が絡んでいるのではないかという点である。文部科学省という中立でなければならない役所で、首相に対する「忖度」があったかどうかが問われている。

これは、ヘテロジーニアス(異質社会)であるアメリカと、ホモジーニアス(同質社会)である日本の社会的な違いが反映されていると思う。トランプ大統領は日本であれば、何の問題もなく、単に二人で食事をするだけで十分だった。後は、コミー前長官の「忖度」に任せれば良かった。しかし、アメリカでは、明示的に言葉に出さないと指示したことにならない。「指示したかどうか」は言葉に出して、言ったかどうかにかかっているのである。